凡例:緑字は訳注
パリ発、1826年7月15日
エドゥアール・ロシェ宛
親愛なるエドゥアール、
こんなに長く君に手紙を書かずにきて、僕も恥じ入ってしまうところだ。君の方でも同じことをして、僕に言い訳の材料をくれているのでなければね。実際、君は僕よりもずっと時間の余裕があるのだから、広場を散歩したりカフェに入ったりしている暇に、ペンを執って近況を知らせてくれてもよさそうなものではないか。僕が手紙を書かなかった主な理由は、書きたいことがあまりたくさんあったので、バカンスでパリを離れられるなら、そのときに会って話した方がよいと思っていたからだ。だが今では、僕がそちらに帰れないことが確実になっている。それでも、この冬、僕の大曲、『ギリシャの情景』[フェランの詩に基づく管弦楽・声楽作品、『ギリシャ革命』のこと]の演奏のためにした骨折りが、すべて無駄になってしまったことについては、詳しくは書かない。それについては、フィゲがマルクに一部始終を書いているからね。成功した者たちが、ケーキを独り占めするため、他者の成功を妨げようとする、自己中心主義と、僕は戦わなくてはならなかった。だが、まさか、クロイツェルがその一人だとは、身をもって経験しなければ、信じられなかっただろう。彼は僕にこう言ったのだ。オペラ座が若手に作品を発表させるための場所ではないということくらい、分かっているはずじゃないかと。数日後、ル・シュウール夫人が、王室礼拝堂で、このことでクロイツェルを責めた。「自分の名を知ってもらう機会を与えられなかったら、若い人たちは、いったいどうなってしまうんですか?」とね。彼は、不機嫌に、こう応えたそうだ。「ああ、そうですとも。彼らは、自分たちがなれるものになるでしょうよ。それに、そんなふうに彼らを後押ししたら、我々の方こそ、いったいどうなってしまうんですか?結局、私だって、もう半年もフェドー劇場[オペラ・コミック座のこと]にかける台本を探しているのに、見つからないんですよ。台本がみな、若手に渡ってしまうものでね。」
テュルー[著名なフルート奏者]は立派な人で、僕の作品を彼の演奏会で上演することを申し出てくれた。だが、その演奏会も実施されなくなった。結局、年内の演奏は、断念した次第だ。
いま、オデオン座で上演するため、3幕のオペラ[『秘密裁判官(Francs-Juges)』(逸失)]を仕上げようとしている。オデオン座の監督が、フランス人作曲家による新作を上演する許可を、ついに得る見通しなのだ。だが、どうかこのことは君限りにしておいてくれたまえ。事前にあれこれ話題にされない方がよいからね。2か月のうちには総譜を提出し、それが受け入れられれば、長く待つことはないと思う。台本については、受け入れられたも同前だ。オデオン座の監督からいくつかあった修正の要求も、対応が済んでいる。最初の2幕の出来栄えには、ル・シュウール先生も非常に満足している。第3幕も、最善を尽くすつもりだ。先生は、僕を是非とも来年の学士院の[ローマ賞]コンクールに参加させたいと望んでいる。また、そのために、ケルビーニが確実に僕の後ろ盾になってくれるよう、僕が音楽院の対位法とフーガの講座を履修することを望んでいる。それで僕はケルビーニに会いに行った。何か僕の作品を見せようと思ったのだが、彼はこう答えた。「いやいや、その必要はない。貴君のことは分かっている。出生証明書だけ提出してくれれば、十分だ。」
僕はいままで音楽院にはル・シュウールの個人的な教え子としてしか登録されていなかった。僕のミサ曲が演奏された後、ケルビーニが僕を自分のところによこすよう、自らル・シュウールに求めたのは、それが理由なのだ。君にも分かるだろう、これもまた、ある生徒に素質があるとみるや、自分の支配下に置きたがる、先生方のプライドの表れなのだ。ケルビーニは、僕が音楽院で対位法を修めたと言い得る限り、僕を全力で支援してくれるが、そうでなければ、何もしてくれないのだ!
このような次第で(先日ケルビーニ氏に何故出生証明書を提出しないのかと訊かれてしまったので)、僕の出生証明書を送ってくれるよう、君にお願いする。ただ、このことは、誰にも知られないようにして欲しい。両親があれこれ根拠のない想像を巡らせてもいけないからね。町役場のジャルディネに内密に頼むか、何か機転をきかせてそれを入手して、できるだけ早く送って欲しい。このことはマルクには相談してよいが、ほかの誰にも言わないで欲しい。
今年のコンクールはもう始まっている。今回はパリスが受賞するに違いない。僕は今、3幕のオペラの台本を、もうひとつ書いてもらっていて、それがもうすぐ出来上がる。ウォルター・スコットの作品に基づいたもので、あとひと月もすれば、僕らはそれをフェドー劇場に提出できるだろう。理解してくれると思うが、バカンスのこの時期に不在になると、僕を迷路から引き出してくれるかもしれない糸を、放してしまうことになるのだ。その上、父が来年は600フランしか送れないと書いてきた。どうにかして収支を合わせられるようにしなければならない。それをなし遂げることを心から望んでいる。僕のオペラが上演され、成功すれば(少なくとも台本については、これまでオデオン座で上演されたどの作品のものよりはるかに良いものだから、成功を期待すべき理由がある)、それで切り抜けられる。僕の音楽についての僕の意見は、これまでで最良の作品、というものだ。とはいえ、これはきわめてシリアスでドラマティックな作品だし、オデオン座の聴衆は、『マルグリット・ダンジュー』[マイヤベーア]だの、『湖上の美人』[ロッシーニ]だのをしこたま聴かされて、すっかり馬鹿になってしまっているから、彼らの見識や趣味に期待するのは、僥倖をあてにするのと同じようなものだ。
僕の頼みごとのことを忘れず、速やかに返事をくれたまえ。マルクが来年こちらに戻ってくるつもりなのかどうかも知らせて欲しい。彼にぜひよろしく伝えてくれたまえ。それとイポリトにも。『アルミード』[グルック]と『オリンピア』[スポンティーニ]が復活上演されたとき、彼がいなかったのは、本当に残念だった。より深く楽しんでもらえたところなのだが。残念だったのは、アルミードの役が、グラサーリ嬢には難しすぎたことで、彼女は完全に役に負けていた。『オリンピア』で、ブランシュ夫人が引退したことは、君も詳しく知っているだろう。彼女は、こういう言い方が許されるなら、いつもよりさらに素晴らしかった。最後にタルマとデリヴィが彼女を称(たた)えたときには、会場が倒壊するのではと思うほどの喝采になった。公演の後、オペラ座のコーラスの団員達が彼女の控室に来て、高価なダイヤモンドをあしらった花輪の餞別を贈った。彼女は、利害関係のまったくない人々から贈られた、このような敬愛の印は、彼女がそれまでに受け取った同種の贈り物のなかでも、最も喜ばしいものだと、僕に話した。学士院会員の代表団がソステーヌ氏[ソステーヌ・ド・ラ・ロシュフーコー。宮内府芸術局長。]に面会し、彼女の契約をもう1年延長するよう陳情した。だが、フランスの有名作曲家が勢揃いしても、その陳情は、聞き入れてもらえなかった。スポンティーニは、彼らのなかで一番この件に強い関心をもっていたが、『オリンピア』のスタティラの役を、彼女があと3回だけでも演じられるようにして欲しいと陳情した。ソステーヌがこれを断ると、この偉大な作曲家は、それ以上、節度を保てなってしまった。「貴方は私をオペラ座の監督に選任することをお望みでしたが」彼はソステーヌに言った。「このスポンティーニを補佐役にするには値しませんな。ほれ、これが貴方の契約書だ(そう言うや、彼はそれを引き裂いて、足元に投げ捨ててしまった)。貴方は、天才の靴紐を解く資格すらない人だ。芸術を殺すことをお望みなのだろう。だが、覚えておかれることですな。去りゆくのは貴方であって、芸術ではありませんぞ。」これらの言葉を残し、彼は辞去したが、あまり強くソステーヌの部屋のドアを閉めたものだから、ドアが真っ二つに割れてしまった。彼は、その後すぐ、妻を当地に残したまま、ベルリンに発った。彼のオペラは、キネ嬢に委ねられたままになったが、彼女は、ソステーヌに続いて、この作品を、たちまち沈没させてしまった。『オリンピア』は、あらゆる点で『ヴェスタの巫女』の作者に相応しい、崇高な作品だ。ただ、金管が勝ちすぎている箇所がある。概して、スポンティーニは、このオペラ全体で金管を大盤振る舞いし過ぎている。彼は激怒してこの地を去ったが、慰めには事欠かない。全ドイツが、彼に平伏(ひれふ)しているからだ。彼は、今世紀の、天才だ。
ウェーバーは、ロンドンで『オベロン』を上演した後、かの地で亡くなった。月桂樹の束の上に倒れたのだ[栄光に包まれた最後だ、の意か]。
亡くなったと言われていたタルマは、昨日来、大いに元気な姿をみせている。
さようなら。君の友、
H.ベルリオーズ(了)