手紙セレクション / Selected Letters / 1825年7月14日(21歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1825年7月14日
母ベルリオーズ夫人宛

大切なお母さん、
つい先日、僕のミサ曲の演奏がかなり見事な成功を収めたことについては、たぶんエドゥアールから聞いておられると思います。ご挨拶が今日まで遅くなったのは、この報せをお母さんが喜んでくださることを、少しでも疑ったからではありません。たとえ僕の勉強が別の方面に向かうことを望まれているにしても、お父さんとお母さんの僕に対する愛情はとても深いものですから、これほど大きな喜びを僕に与えてくれた出来事が、お二人に苦痛をもたらすことがあろうとは思えません。大切なお母さん、ですから、遅れた理由はただひとつ、僕の成功が新聞や雑誌で裏付けられるのを確認したかったからです。励ましたり褒めたりしてくれたものが半ダースもありました。残念ながら、ラ・コートでは手に入らないものばかりですが、それらは、『アリスタルク』、『ドラポー・ブラン』、『モニトゥール』、『コルセール』、『ジュルナル・ド・パリ』です。これらは発売になるたびに買い集めています。そちらに帰ったら、証拠としてご覧に入れるつもりです。
150人の奏者で、期待し得る最良の演奏がなされました。ル・シュウール先生、オペラ座の監督と指揮者が後ろ盾になってくれましたし、何よりも、これらの人たちが注いでくれた熱意のおかげで、僕は、最も困難な障害をも、乗り越えることができました。
演奏が終わった途端、ありとあらゆる種類の賛辞、質問、招待を、霰(あられ)のように浴びせかけられたので、誰に返事をすればよいか、分からないくらいでした。けれども、僕を本当に満足させてくれたのは、こうした愛好家の人たちの熱狂ではありませんでした。僕が心から望んでいたのは、音楽家、つまり、プロのひとたちの賛成票だったのです。そして、幸いにも、僕は、それを手に入れることができました。自分たちの技芸(アール)の審美家気取りでいる人々にはうんざりさせられていた音楽家たちが、こぞって、僕の音楽に身震いしたとか、僕の身体には悪魔が宿っている[「活力に満ちている」の意]とか、僕のクレッシェンドに息が止まりそうだったとか、僕は将来大成するだろうとか、もっとセーブした方がよいとかいったことを、僕に言いに来るのを聞いたときは、どれほど嬉しかったことでしょう。サン・ロック教会の主任司祭から15分ものお説教(この人は、ジャン・ジャック・ルソーは、文学だけでなく音楽をも毒してしまったということだとか、僕には人々を正道へ導く使命があるとかいったことを、僕に伝えようとしていました)を聴かされた後で、僕はようやく、家で待つと伝言してくれていた、ル・シュウール先生の家に逃げ込むことが出来ました。
先生は、僕が先生の家に入るなり、訳が分からなくなるほど僕を抱擁し、その上、僕がすっかり動揺してしまうくらいの、喜び、満足、さらには有頂天の感情を表(あらわ)してくれました。それから、他の人たちに気付かれぬよう教会の隅に姿を隠しながら、僕の音楽が聴衆に並外れた影響を及ぼす様子を見、聴いたことを、僕に話してくれました。
教会の別の場所で聴いていた先生の奥さんとお嬢さんたちも、そこで見聞きしたことや、人々が僕について彼女たちに告げたお祝いの言葉、ベルトンの弟子たちがそれに大いに傷つき、悔しがっていたことなどを、話してくれました。
こうして、僕はやっと最初の一歩を、首尾よく踏み出すことができました。それでも僕は、自分がまだどれほどたくさん勉強しなければならないかも、よく分かっています。また、楽想の興奮に引きずられていた人々が見落とした、多くの欠点にも、気付くことができました。それらのことを認識したいま、次の機会には、それらを回避することができるよう、努力しようと思っています。
さようなら、大切なお母さん。数日のうちにまた書きます。今日は詳しいことを書く時間がありませんでした。日中は2時間くらいしか家にいないのです。

敬具
H.B.(了)

訳注/ミサ曲成功に対する家族の反応
上記の手紙をラ・コートの家族が受け取った後、妹ナンシーが不明の名宛人に書いた手紙の草稿が残されており(マドモワゼルと呼びかけていることから、友人宛と推測される)、次のように語っている。
「・・・演奏を聴いた若い人たちが帰ってきて、ミサ曲がこれほど効果を上げ、大きな音を出すのは見たことがないと言い、さらには、兄の熱中に共感したり、彼の将来を羨んだりしています。ところが、私たち家族は、このことに、この上なく冷淡なのです。父は怒っているし、母は、自分が内心では満足していることを、認めようとしません。私自身は、ただ兄のためにだけ、とても嬉しく思っています。それというのも、[ミサ曲の演奏に成功した]7月11日は、たしかに兄にとって人生最良の日になるでしょうけれど、それは兄を幻惑せずにはいず、彼は、これほどの初舞台には、両親も喜ばずにいないはずだと思い込んでいるからです(car je crois bien que ce 11 juillet sera le plus beau jour de sa vie, il n’est sorte d’illusions qui ne le séduissent et il ne doute pas que mes parents ne puissent résister à un pareil début.)。兄は、この点で、ひどく思い違いをしています。なぜなら、父は、兄が音楽の道を進むことに、これまでよりいっそう強く反対しているからです。父は、厳格な道理の観点から、そのことを熟考した上、こう言ったのです。『それが何になるというのだ』・・・」

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