手紙セレクション / Selected Letters / 1825年4月25日(21歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1825年4月25日
ベルリオーズ医師宛

お母さんの最近の手紙で、お父さんが、僕のことでますます思い違いをされていることが、はっきりしました。お母さんはお母さんで、僕に対して非常に先入観をもっているので、僕が3月に書いたのに、そちらに届かなかった手紙(それが多くの誤解のもとになったのですが)のことを、僕が本当は書いていないだろうとまで言います。そんなひどい嘘を長くつき続けたという非難を受けることがあろうとは、思いもよりませんでした。なくなった手紙を取り戻そうと、何度も本局に問い合わせましたが、みつかりませんでした。宛名を書いたこと、その手紙を僕が失くしていないことは確かなので、ラ・フレットとラ・コートの間で、どこかに迷い込んだに相違ありません。
大切なお父さん、つまり僕は、貴方の僕に対する見方を変えさせるようなことは、しているはずがないのです。何としたことでしょう!僕は、悪い息子で、悪い兄で、愚か者で、道理をわきまえた人たちに敬意を払われる値打ちのない人間なのでしょうか!・・・一人の父親が自分の息子に対してそのような意見を持つに至るからには、息子についてひどく嘆かわしい出来事があったに違いなく、息子の行いに、思いもよらない悲しみを感じさせられたに違いありません。掛け替えのないお父さんを悲しませてしまったことは、不幸なことに、疑う余地がありません。その悲しみを、僕が自分で終わらせて差し上げられないことは、それにもまして痛切に、残念に思います。けれども、僕は、自分の行いが非難されるべきものだったとは、思いません。何故なら、それは僕には他のどのようにもすることができなかったことで、また、そのような行いを導いた理由が、正しく、高貴なもの以外の何ものでも、なかったからです。
信じてください、大切なお父さん、僕は、自分が志す職業が、両親の選んでくれたものと異なっていることに、絶望を感じています。でも、僕は熟慮し、長い時間、このことについて、何度も考えました。他の道を選ぶことは、僕の行い得ることではありません。僕の体質のすべてがそれに反発していますし、そうした企てに成功するために必要な性格の力を、僕はまったく欠いています。僕は、自分で熱意をもって目指している目標の達成のためなら、尋常でない努力もできるし、人を驚かす粘り強さももっています。けれども、意に反する努力を絶え間なく行うこと、望まぬ結果をもたらすだけの勉強を長く続けること、いくら打ち砕いても僕の体質が甦らせてくる性向に不断に抵抗することは、僕の手に余ることで、まったく不可能なことです。それに、仮に僕がその分野で成功したとしても、僕は自分が幸福だと感じることができず、つまり幸福にはなれないのですから、僕についてのお父さんのご意向も、実現されたことにはならないでしょう。他方、自分が選んだ職業人生であれば、仮に失敗したとしても、そのことに不満を言いはしないでしょう。僕が言っていることを証明する事例は、いくらでもあります。つい先頃亡くなった、この国でいちばん有名な探検家で博物学者の、ルヴァイヤンをみてください。この人は、自分の生涯を、どのような苦労や危険がその途中にあったとしても、恵みだと思っていたとは思いませんか。彼は、狩猟や冒険に非常な情熱をもっていたので、あるひとつの危機を脱するや、次の危険の中に再び飛び込んでいましたし、一羽の鳥、一頭の動物を蒐集品に加えるために、広大な砂漠を横切り、飢え、渇き、一言で言えば、あらゆる形態の最も恐ろしい死に立ち向かったのでした。ですから、彼が自分の目的を達した時に感じる喜びは、何ものにも勝るものでした。彼自身、こう語っています。前代未聞の骨折りの上、いまは植物園に置かれているキリンを仕留めた日、彼が感じた喜びは、いまだかつて誰かが感じたことがあるとは思えないほどのものだったので、彼は、地面の上を転げまわって叫び声を上げたそうです。
このように生まれついた人間を、自然が彼にそう進むよう駆り立てていると思われるコースから離れさせることが、可能だったと思われますか?同じ状況にある者たちを、矯正しようと望むことは、まったく無駄で、残酷ですらあるとは、お思いになりませんか?
音楽の世界でのキャリア(la carriàre lyrique)の第一歩を踏み出すため、克服しなければならない障害は、もちろん、とても大きなものです。そのことは、誰よりもよく分かっています。障害がどれほど数多く、乗り越えがたいものであるかも、直視しています。けれども、粘り強さ、慎重さ、それに素質(talent)があるなら、いずれ打ち勝つことができないものでは、きっとないと思います。
今月はじめに送ってくださった200フランですが、5月の3日か4日までしか、もちそうにありません。というのは、負担しなければならなかった用紙代、写譜料として、未払いになっていた50フランを返済しなければならなかったからです。
20フランの帽子を買いました。
長靴を買い揃えるのに14フランかかりました。
靴を2足買うのに14フランかかりました。
大切なお父さん、たぶんまったく無遠慮だとお思いになるお願いを、もう一つしようと思います。ヴォルネの著作集が欲しくてたまりません。ご存じのとおり、『[諸帝国の]没落(des Ruines)』、『シリアへの旅』、『アメリカ合衆国総覧』『ギリシャについての手紙』、『古代史研究』から成るものです。いま出ている、美しく、統一された版は、品切れ直前の状態です。政府が再版を禁じたので、日に日に値上がりしています。3か月前には40フランでしたが、今では64フラン以下では買えません。値上げにもかかわらず、あと20部しか残っていません。
さようなら、大切なお父さん。信じてください、僕は、お父さんが僕にそうあれと望んでくれている人間から、そんなに遠く隔たってはいませんし、お父さんを悲しませてしまったことへの償いを、いつか必ずするつもりです。
貴方の息子より、尊敬と愛情を込めて。
H.ベルリオーズ

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