手紙セレクション / Selected Letters / 1825年2月18日(21歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1825年2月18日[この手紙には日付けが付されていない。左の日付けはD.ケアンズ『ベルリオーズ』1部9章に拠る。]
叔父ヴィクトル・ベルリオーズ宛

この手紙の目的に、叔父さんは、驚かれるに違いありません。僕は、叔父さんに、父と僕の仲裁役をお引き受けくださることを、お願いしようとしているのです。父は叔父さんをとても愛しているので、叔父さんの助言になら、耳を傾けてくれるだろうと思うからです。父は、叔父さんが一般に父と同じ意見の持ち主であることを分かっているので、もし叔父さんが僕の考えを弁護してくださるなら、父も必ず、僕の考えには理があると叔父さんが思ってくれていることを理解してくれると思うのです。
自分の立場の擁護のため、僕に言えることは、次のとおりです。
まず、父は自分のことを、完全に冷静だと信じています。だから、僕が恒常的にエンスーシアズム(熱中)の状態にあるのとは異なり、自分は、正しい角度から物事を見ることができている、と彼は言うのです。つい先日の父の手紙は、僕が頑張り通せば父も折れるだろうとか、僕が成功すれば父も認識を改めるだろうとか考えるのは、間違いだ、との書き出しで始まっています。これでは、グルック、モーツァルトのような作曲家になれることが間違いないという場合でも、僕が音楽家になることには、同意しないということになります。こんなふうに考える人が、冷静だと言えるでしょうか。このような意見の結果が、どのようなものになるか、考えてみてください。僕はある日、世の父親が皆そうだったら、ヨーロッパには、詩人も、画家も、建築家も、彫刻家も、作曲家もいなくなる、と父に言いました。彼は、こう応えました。「なに、そんなこと、痛くも痒くもないさ!」
父は、冷静だったのでしょうか?
叔父さんは、あるいは僕に反論して、次のように仰るかもしれません。僕の父と同じ立場にあるすべての父親が同じように考えたとしても、それで芸術が壊滅するということはあり得ない、なぜなら、社会のより低い階層に生まれた人々の場合は、何も失うものがないから、こうしたやっかいな職業人生(キャリア)を歩む危険に、わが身を晒(さら)すことを厭わないだろうからと。それに対しては、僕はさらに、次のように応えるでしょう。もしそうした人々の考えが、父の意見と同じものだったら、彼らにしても、見込みの少ない職業人生に身を投じるよりは、大工や靴職人等、より安全な職業を選択する方がよいと判断するのが当然ではないかと。してみると、芸術は、やはり壊滅することになります。それが文明諸国にとって不幸でないかどうかは、問うまでもないと思います。
次に、父は僕に、エンスージアズム(熱中)は、人の品性を損ない、それに取り憑かれた者を、惰弱で、不道徳で、利己的で、軽蔑すべき人間にしてしまう、と言います。父は、妻子を棄てた、ラ・フォンテーヌの例を挙げました。けれども、僕は、この有名な寓話作者にそのような行動を取らせた、誰もが知っている理由の詳細に立ち入るまでもなく、ボワロー、偉大なコルネーユ、ラシーヌ、グルック、グレトリ、ル・シュウール、その他数えきれないほどの人々の例を挙げて、それに反論することができます。これらの偉人の同時代人たちは皆、これらの人々には、これらの人々をひとかどの人物にした、天賦の才とはまた別の資質があることについて、意見が一致していましたし、今でも一致しています。実際、『オラス(Horaces)』[ボワローの著書を指すとみられる。ホラティウスに倣ったとされる、『詩の技法』か。]、『アタリ』[ラシーヌの戯曲]、『トリドのイフィジェニー』[グルックのオペラ]、『シルヴァン(Silvain)』[グレトリのオペラ]、『吟唱詩人』[ル・シュウールのオペラ]の作者たちが、エンスージアズムという魔物(デモン)に取り憑かれていたというのでなければ、彼らを突き動かした炎を、いったい何と呼べばよいのでしょうか。
叔父さんは、おそらく、僕が自分の成功を見込む根拠は何かとお訊ねになると思います。
僕は、自分が劇場で華々しく名を上げることができる時期は、まだ非常に遠いと思っています。けれども、今から4、5か月後までの間に確実に演奏される見込みがある、『荘厳ミサ曲』には、多くを期待しています。お聴き及びかもしれませんが、僕は、先日、この作品を演奏しようとしました。しかし、演奏に不可欠な大人数の奏者を無報酬で集めることは不可能なことでしたし、あまり多くの回数の練習ができない割には演奏が難しすぎる作品だったものですから、結局、これらの障害が乗り越えられないままに終わりました。そこで僕は総譜を修正し、非常に難しかった部分を全部削除することにして、その作業をちょうど終えたところなのです。僕は、そうして出来上がった作品を、もう一度、ル・シュウール先生に見てもらいました。先生は、それを4日かけて注意深く見てくれた上で、返すとき、こう言いました。「ご両親が君に作曲をやめさせようとしていることに、胸が痛む。私はもう、君が音楽で成功することをいささかも疑っていない。君は偉業を成し遂げるだろう。この作品には、驚異的なイマジネーションがある。途方もない量のアイデアに驚かされる。欠点は、アイデアが多すぎることだ。とにかく自制なさい。努めてシンプルであるようになさい。」彼は、その後、僕のミサ曲について、他の人に、次のようにも語ったそうです(その人が話してくれました)。「あの若者は、途轍(とてつ)もないイマジネーションの持ち主だ。彼のミサ曲は、驚くべき作品だ。彼の総譜には、あまりに多くのアイデアが詰まっているので、自分ならそれで作品が10も書けるくらいだ。だが、それらは彼自身より力が強いので、彼はどうでも全部の弾を一斉に撃たずにいられない。彼はもうすぐ皆を唖然とさせるだろう。」僕のスコアを8日間かけてみたオペラ座の指揮者[ヴァレンティノ]も、ほぼ同じことを言いました。僕は、ミサ曲のリハーサルに立ち会っていた、サン・ロック教会のオルガニストのルフェヴルからも、お祝いと助言の手紙をもらっています(僕のミサ曲は、この教会で演奏するはずでしたので、僕らは、本番前日にリハーサルをしたのですが、開始はしたものの、途中でやめてもらいました)。僕の知り合いのある紳士は、ルフェヴル氏と直接僕のことを話したそうですが、氏は彼に、こう言ったそうです。「たぶん彼は、数年のうちに、我が国最高の作曲家になるだろう。」
これらのことは皆、励みになっています。けれども、僕が主に拠っているのは、僕が自分自身の中に感じている、ある種の駆動力です。それは、ただ一つの目標、つまり、劇場向け、教会向けを問わず、偉大な音楽へと向け、ひたすら進んで行く、正確に説明できない火、エネルギーです。それ故、僕は、軽い音楽には興味がないし、オペラ・コミックの作品を観に劇場に足を運ぶ気もないのです。
要約すれば、次のとおりです。父は、冷静とは程遠い状態にあり、想像力を掻き立てられてのあまりと思われますが、1年前の考えとはまったく違うことを、僕に書いてきています。僕が成功することは明らかだと思われます。また、次のことも確かです。何ものも、僕に進路を変えさせることはできないこと。父は僕が狂っていると思っているので、彼の思い込みを元通りに直すことは、僕にはもう、できないこと。
大切な叔父さん、だからなのです、今の僕の状況を先入観なくご検討くださり、僕のためというより、とても優しい父に心の安らぎを得てもらうために、僕の大義を弁護してくださることを、叔父さんにお願いするのは。叔父さんが僕を支持してくださるならば、父の苦悩が父と僕とに失わせた幸福を取り戻す希望は、まだ失われてはいないと思うのです。
貴方を敬愛する甥、

H.ベルリオーズ
サン・ジャック通り79番地

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