手紙セレクション / Selected Letters / 1825年2月 妹ナンシーの日記

凡例:緑字は訳注

1825年2月
妹ナンシーの日記

2月24日
父は私にこの上なく辛い義務を課した。兄に叱責の手紙を書き(その内容は、ああ、あまりに正しい)、父に代わって、兄はもはや父の仕送りをあてにできないことを告げ、すぐに帰ってくること、さもなくば他の収入源を頼るべきことを命じることだ。このように性急で、何にもまして予測を超えた内容であるが故に悪い結果が懸念され、危険とまでは言わないまでも無駄に思える通告を、私自身がしなければならないことが、いっそう辛かった。悲痛な文体の手紙を書いた。私は、こんな問題を扱うにはうってつけの、感情が高ぶった状態にあった。(了)

2月26日
父がエクトル兄さんに甘いことをいつも批判し、厳格な対応を誰よりも強く支持してきた[ヴィクトル]叔父が、今日、世のいかなる父親の決意をも揺るがさずにはいないような内容の手紙を書いてきた。説得力があり、同情的なこの弁護の手紙は、エクトル兄さんが長い手紙を書いて、叔父に書いてもらったものだ。検察の仕事が、優秀な糾弾者の役を彼にしばしば演じさせているにしても、叔父が、弁護人の役も少しも不得手にはしていないことが分かり、私は嬉しかった。私は、叔父の論法を、それが思わず納得せざるを得ないほど中庸を得たものだっただけに、なおさら高く評価した。私はいつも、穏健派の支持者だ。何故なら、それが一番、運任せでないからだ。父も、これまでの発言がどうあれ、必ずそこに行き着くものと、私は信じている。頑固な粘り強さは、いつも最大の成功を収める。兄は一徹にそれを貫いている。最も強固な意思の持ち主ですら、長くはそれに抗うことはできないだろう。いったいどんな堰(せき)なら奔流が止められるだろうか?・・・そんな堰などありはしない!だから、流れるに任せるしかないのだ。(了)

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