手紙セレクション / Selected Letters / 1824年6月10日(20歳)

判例:緑字は訳注

ラ・コート・サンタンドレ発、1824年6月10日
アンベール・フェラン宛[訳注1]

親愛なるフェラン、
パリを離れたとたん、貴君と話したくてたまらなくなった。僕に手紙をくれるのは出発後2週間経ってからにしてくれと貴君に頼んだのは、僕自身だったが、それは、手紙をもらった後、貴君から音信がない期間が長くなり過ぎないようにと考えたからだった。だが、今日は、やはり出来るだけ早く手紙をくれるよう、お願いすることにする。何故なら僕は、貴君は、僕に一通手紙をくれたからといって、その後2か月も放ったらかしにして、僕を「トルトーニ」[パリのカフェ]にバニラ氷菓を食べに行くことを切望している、「希望の岩」を離れた「悲しい男」( L’HOMME DE LA DOULEUR éloigné DU ROCHER DE L’ESPERANCE[意味不詳])(Poitier; in lib. Blousac, p.32)[意味不詳。架空の引用か?]のように苦しませるほど、怠け者ではないはずだと思っているからね。
タラールまでは、かなり退屈な旅だった。 そこからは、馬車を降りて歩いたのだが、たまたま、いわば不本意ながら、いかにもディレッタント風の(つまり、あまり近づきにはなりたくない手合い、ということ)、2人の若者と言葉を交わすようになった。彼らは、自分たちはゲラン、グロ両氏の弟子で、サン・ベルナール山に風景画を描きに行くところだと、話しかけてきた。そこで、僕は、自分はル・シュウールの弟子だと名乗ったわけだ。すると、彼らは、僕の師匠の才能や人柄に、大いに賛辞を述べた。そうしているうちに、一人が、『ダナオスの娘たち』のコーラスを、ハミングで歌いだした。「その旋律は、『ダナオスの娘たち』ですね!」と、僕は叫んだ。「ということは、あなたはディレッタント[訳注2]ではないんですね ?」。
「僕がディレッタントですって?」彼が応えた。「僕は、デリヴィとブランシュ夫人のダナオスとヒュペルムネストラを、34回も観てるんですよ!」
「ああ!・・・」
僕らは、それ以上何も言わず、互いに抱き合った。
「ああ、ブランシュ夫人! デリヴィ!なんという才能!・・・なんという力強さ!」
「僕は、デリヴィをよく知っているんです」もう一人が言った。
「僕もです。幸いなことに、あの素晴らしい悲劇歌手もです。」
「幸運な人だ!彼女はとび抜けて才能があるだけでなく、機知に富んでいて、人間性も、素晴らしいそうですね!」
「まったくそのとおりです」
「それにしても」と僕は言った。「あなた方は、音楽家ではないのに、どうして、あのディレッタントの病原体に冒されずにいられたのですか?ロッシーニを聴いても、自然や常識に背を向けてしまうようには、ならなかったんですね!」
「その理由は」彼らは答えた。「僕らが、絵画において、偉大なもの、美しいもの、とりわけ、自然なものを、いつも探し求めているからです。だから、ブランシュ夫人や、然るべく彼女を見習っている歌手たちの、優しく、胸を打つ、素晴らしい歌い方からも、グルックやサリエリの作品の名場面からも、誤りなくそうしたものを感じ取ることが出来るのです。反対に、いま流行しているようなジャンルの音楽は、アラベスク模様やフランドル派の素描が面白くないのと同じで、僕らの心を惹き付けることはないのですよ。」
親愛なるフェラン、これは、とてもよい出会いだった。彼らこそ、情趣を理解する人々で、オペラ座に出かけ、『トリドのイフィジェニー』を聴き、理解するにふさわしい鑑賞眼を備えた人たちだ。互いの住所を交換したので、僕らはパリに戻ったらまた会えるだろう。
貴君は、ニヴェールさんと一緒に、『オルフェ』をまた観ましたか?どうにかして氏を感動させることができましたか?変わらぬ熱意をもって、僕らの案件[オペラ『秘密裁判官』とみられる]に取り組んでくれていますか?ジェルマン君はどうしていますか?・・・くれぐれもよろしく伝えてください。ベルリオーズ君[同姓の友人]にもよろしく。僕は彼がディレッタントだったとしても、少しも驚きません。音楽のことを知らなければ、グランド・オペラの真価を知ることはできないし、逆に、音楽について無知でなければ、ロッシーニのオペラ・セリアを最後まで聴いたりは、できないからね。彼は、後者の部類だと思います。さようなら。こちらでは、すべてうまくいっています。父は完全に僕の味方になってくれているし、母も、いまでは、僕がパリに戻ることについて、冷静に話せるようになっています。
君の友人、
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集24]

訳注1 / エクトル3回目の帰省の際の手紙。この年の帰省の詳細については、7月のル・シュウール宛の手紙の訳注参照。
訳注2 / 「ディレッタント(dilettante)」
(芸術)愛好家を意味するイタリア語(「ディレッタンティ」は複数形)。当時パリを席巻していた、ロッシーニらイタリア楽派のオペラを信奉する人々が、自派を称して用いた呼称。自らを「(真の)目利き」と誇り、他楽派、すなわち、ベルリオーズが信奉していたフランス古典オペラ楽派を見下す含みがあったようである(バーザン1部3章、ケアンズ1部7章参照)。

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