手紙セレクション / Selected Letters / 1821年12月13日(18歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1821年12月13日[18歳の誕生日の3日後]
妹ナンシー・ベルリオーズ宛

ナンシー、君の素敵な手紙に返事を書くのにすっかり時間がかかってしまったが、それは、先週はお父さんに手紙を書かなくてはならず、今週はフェリクス叔父さんとオーギュスト叔父さん、それにお祖父さんに書いて、日曜日には、いつもあちこちに出かける用事があったからです。
君が手紙の冒頭に、君の性質について僕が思っているのではないかと書いていることは、僕が感じていることとは全然違う。愛しいナンシー、僕は、君が僕に冷淡だとか無関心だとか思ったことは、一度もない。君はあまり大げさに感情を表わす人ではないが、僕はそれをそういうふうに取ったことはないし、もし仮にそういうことがあったとしても、君がくれる手紙を読めば、君がそんな人ではないことは、すぐに分かる。さて、パリでの暮らしに、どんな嬉しいこと、悲しいことがあるのかという、君の質問についてだが、まず、悲しいことに関しては、ラ・フォンテーヌの次の言葉で答えておきます。「君の不在がいちばんの不幸」。もちろん、悲しくなる原因は、ほかにもあって、それは、あるときは、嫌悪を催させるある科目だったり、またあるときは、粘り強く勉強した挙句に自分が何も分かっておらず、勉強せねばならないことが山ほどあると気づいたとき、お父さんが僕に満足してくれないのではないかと思ったとき、・・・というふうに僕を苦しめる悲観的な考えは際限がないが、そういうことを考えたときに、僕がしばしば感じる落胆だったりする。
嬉しいことは、そもそも数が少ないし、それらも結局、いつも身震いか涙で終わっている。これまでに経験したのは二つで、一つはラクルテーユ(Lacretelle)先生の歴史の講座、もう一つはグランド・オペラだ。「講座」という言葉からは、たぶん面白いものは想像しないと思うが、それがそうではない。この人の話は、まるで神様が話しているかのようなのだ。最初の講義では、アンリ4世の暗殺の話をして、僕ら全員にほとんど耐え難いくらい辛い印象を与えた。次には、ルイ13世が治世のはじめに悩まされた、色々な混乱や無秩序について、同じように色鮮やかに説明してくれた。そしてその後で、僕はすっかり感心してしまったのだが、これと見事に対比させながら、先王アンリ4世の側近だったシュリー公の、隠居先での静かな生活を語ってくれた。とはいえ、公は、密かに祖国の難局を嘆いていたのだが。先王のこの威厳ある友人[シュリー公]が、ルイ13世の宮廷に召し出され、旧時代の流行(モード)で仕立てられた衣装を着けて伺候した様子や、若き新王の取り巻き連中がそれを笑い、皮肉たっぷりに嘲(あざけ)ったことなどを、あまり見事に先生が語るものだから、僕は、シュリー公その人を目の前で見ているように感じたほどだった。公は、新王の玉座に歩み寄りながら、自分を嘲っている愚か者どもに侮蔑の眼差しをくれると、「陛下、(誉れ高き回顧によれば)父王陛下が私を宮廷にお召しになるときは、お目通り賜ります前に、道化どもを下がらせなさったものです」と言ったそうだ。この講座はいつもこんな調子で、出席するのが本当にとても楽しみなのだけれど、ほとんど出られていない。
オペラ座についてだが、これはまた、まったく別のものだ。最小限度のイメージを君にもってもらうことすら、僕にはできそうもない。グルックの傑作、『トリドのイフィジェニー』を観たときは、気絶でもするのでなければ、それ以上激しく心を動かされることは、あり得ないくらいだった。まずはじめに、あたかも一つの楽器のようなアンサンブルで演奏する、80人のオーケストラを想像して欲しい。オペラは、こんなふうに始まる。遠くに広い平原が見え(完璧な幻視効果だ!)、その遥か遠くに海が見える。オーケストラが嵐を予告し、黒雲がゆっくり降りてきて、平原を覆い尽くす。劇場内の灯りといえば、雲間を突き抜ける、稲妻の閃光の明滅だけだ。それは、実際に見なければ信じられないほど、本物そっくりだった。一瞬、沈黙が訪れる。舞台上は無人だ。オーケストラが、かすかにざわめき、風が吹く音を思わせる(君も、冬、一人でいるときに、凍てつく風の音を聞いたことがあるに違いない)。そう、まさに、あの感じだ。不安が次第に強まり、突然、嵐になる。それから、オレステスとピラデスが、トリドの蛮族に鎖で繋がれ、引き立てられてくる。蛮族どもの恐ろしいコーラスは、こう歌っている。「我らの罪の贖いは、生贄の血で成就する。」観客の忍耐は、次の場面で、限度を超えてしまう。不幸な二人が、まるでそれが最善のものでもあるかのように、争って死を求めるのだ。どんなに鈍感な人間でも、これには深く心を動かされずにいないだろう。そして、結局それがオレステスに拒絶されてしまうと、彼を生け贄に捧げ、その喉を切り裂かなければならなくなるのは、彼の姉である、ディアナ女神の巫女、イフィジェニーなのだ。それから、次の場面も、本当にぞっとするほど恐ろしく、聴き手がその場面で感じる本当の恐ろしさに少しでも迫るように君に話して聞かせることは、僕には到底できないと思う。そこでは、苦悩に打ちのめされたオレステスが、「僕の心に平穏が戻った」と語って倒れ臥すのだが、彼はそこで幻覚に陥り、観客は、彼の幻覚の内容を目のあたりにする。両手に持った地獄のたいまつをオレステスの頭のあたりで振っている様々な亡霊どもと一緒になって、彼に殺められた彼の母親の幽霊が、彼の周りを動き回るのだ。そして、そのときのオーケストラといったら!いま話したことがすべて、オーケストラに表わされているのだ。どれほど見事に様々な状況がオーケストラで描かれているか、君に聴いてもらうことができたら!それは、たとえばこんな具合だ。オレステスが一見落ち着いてみえるとき、ヴァイオリンは、いわば彼の心の平穏を示す、非常に静かな持続音を奏している。ところが、その下方には、低音楽器のざわめきが聞こえている。これは、親を殺めた彼の心が、表面は安らかにみえても、奥底ではなお自責の念に苦しめられていることを示しているのだ。
僕はつい、夢中になってしまった。さよなら、愛しい妹よ。この脱線を許しておくれ。そして信じてください。君の兄さんが、いつも心から君を愛していることを。

エクトル・ベルリオーズ

僕のために、皆を抱きしめてあげてください。(了)[書簡全集10]

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