ベートーヴェンの交響曲の批評研究 / Etude Critique des Symphonies de Beethoven

凡例:緑字は訳注

『歌の野を行く』(1862年、パリ)
A Travers Chants ( Paris, 1862 )

ベートーヴェンの交響曲の批評研究
Etude Critique des Symphonies de Beethoven

 今から36、7年前、オペラ座の宗教音楽会(コンセール・スピリテュエル)で、当時フランスではまったく知られていなかったベートーヴェンの作品が、試奏された。賞賛すべきこの音楽が、大多数の音楽家たちから直ちに受けた指弾の厳しさは、今日では、信じられないほどである。それは、彼らにとって、風変わりで、奇怪で、冗長で、耳障りな転調や乱暴な和声に満ちており、メロディがなく、表現に誇張があり、あまりに騒々しく、その上、恐ろしく演奏が難しかったのである。アブネック氏は、その頃王立音楽アカデミー[パリ・オペラ座の正式名称]を意のままにしていた趣味の良い人々の要求を満たすため、後に自身がパリ音楽院での演奏を非常に入念に準備し、かつ、指揮した、その同じ交響曲[複数]に、せいぜいガレンベルクのバレエかガヴォーのオペラでしか行われないような、とんでもないカットをすることを余儀なくされた。そのような「改善」をしなければ、ベートーヴェンは、ファゴット独奏とフルート協奏曲の間の演目として、コンセール・スピリテュエルのプログラムに取り入れられる光栄に浴することができなかったのである。ニ調の交響曲[2番]の赤鉛筆で印を付けられたパッセージの試聴が最初に行われたとき、クロイツェルは、耳を塞いでその場から退散した。彼は、その後のリハーサルで作品の残りの部分を聴く決意をするのに、勇気を奮い起こさなければならなかった。クロイツェル氏のベートーヴェンに対するこのような見方は、この時代のパリの音楽家の99パーセントの人々に共有されていたということ、そして、これと反対の意見を表明したごく小さな分派の粘り強い努力がなかったならば、この現代における最も偉大な音楽家は、今日においてもなお、ほとんど知られないままだったかも知れないということを、忘れないでおこう。オペラ座におけるベートーヴェンの作品の断片の演奏は、それゆえ、きわめて重要な意味を持つ出来事だった。これがなければ、パリ音楽院演奏協会は組織されていなかった可能性が非常に高いからである。この素晴らしい演奏団体の創設は、このときの少数の知性ある人々と、聴衆の功績である。ここで聴衆と言ったのは、すなわち、真の意味における聴衆であって、いかなる徒党にも属さず、ただ感性のみに従い、視野の狭い考えや芸術に関する既成のばかげた理論に捉われずに判断することができる人々のことである。こうした聴き手は、正しくなされた自分の判断を変えてしまうことがよくあるから、うっかり評価を誤ることも少なくない。しかし、その彼らが、ベートーヴェンの優れた特質のいくつかには、初めて聴いてすぐに、深く心を動かされたのである。彼らは、ある転調が別の転調と関連しているかどうかとか、特定の和声が衒学者たちの許容するところかどうかとか、いまだ知られていない一定のリズムが許されるかどうかとかいったことは、決して問わなかった。彼らはただ、その音楽のリズム、和声、転調が、気高く情熱的な旋律に装飾され、力強いオーケストレーションを施されながら、激しく、そして、まったく新しいやり方で、彼らを感動させているということに気付いたのである。彼らの拍手喝采を引き出すのに、それ以上、何が必要だっただろうか?音楽という芸術が生み出す、生き生きとした、燃えるような感情を、わがフランスの聴衆が感じ取ることは、ごく稀である。だが、ひとたび彼らが真に高揚し、その状態に至ったときには、誰であれ、彼らをその状態に導いた芸術家に対し、彼らが表わす感謝に匹敵するものはない。第7交響曲の有名なイ短調のアレグレット(ほかの部分が受け入れられるようにするため、第2交響曲中に挿入されていた)は、すでにその最初の演奏から、コンセール・スピリテュエルの聴衆によって、その値打ちどおりに評価された。平土間の聴衆は一団となって大声で再度の演奏を求め、2度目の演奏では、最初に聴いたときにはあまり良さが分からなかったニ長調の交響曲の第1楽章とスケルツォも、ほぼ同様の成功を収めた。このとき以来、聴衆がベートーヴェンに対して明確な関心を持つようになったことが、彼の擁護者の力を倍にし、彼の誹謗者たちを、沈黙させまではしなかったにしても、少なくともその大部分を活動停止に追い込んだ。そして、彼らの衰退が洞察力のある人々に太陽がどの陣営から昇ろうとしているのかを告げたおかげで、中核的な小集団が徐々に成長し、そこに、今日世界中にまず並ぶものがない素晴らしい演奏団体になっている、音楽院演奏協会が、ほとんど専らベートーヴェンのために、設立されるに至ったのである。
我々は、以下、この巨匠の交響曲の分析を試みよう。最初は、音楽院演奏協会がごく稀にしか演奏しない、第1交響曲である。

1 『ハ調の交響曲』[略]
2 『ニ調の交響曲』[略]

3 『英雄交響曲』

4 『変ロ調の交響曲』[略]

5 ハ短調の交響曲[『運命』]

6 『田園交響曲』[略]
7 『イ調の交響曲』[略]
8 『ヘ調の交響曲』[略]
9 『合唱付き交響曲』[略]