凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
ヴァンセンヌ発、1833年10月6日
アデール・ベルリオーズ宛
僕の大切な、優しい、小さな妹よ、
随分長く手紙を書かずにいたから、君は僕を自分勝手で忘れっぽいと思っていたに違いない。だがそれは、不確定なことがあまりに多かったので、ペンを執るのは、とうとう結婚に漕ぎつけたと君に知らせることができるようになってからにしようと、心に決めていたからだ。そうなのだ、可愛いアデール、すべて片付いた。結婚式は、この前の木曜日[1833年10月3日]、フランスとイギリスの慣例に従って挙げられた。アンリエットは、僕が感情を抑えきれなくなるのではないかと心配し、多くの人が証人になってくれるのだから最大限自制するようにと、僕に大いに釘を刺した。僕はその言い付けを大いによく守ったから、見事に平静でいることができた。泣いたのは僕でなく、彼女の方だった。僕は今、彼女と二人、物見高い人々に煩わされることのない、ヴァンセンヌ[パリ東郊の町]の小さく可愛らしい田舎家にいる。結婚当日、アンリエットの妹は、僕らを二人だけにしてくれた。結婚を祝う食事を、僕らは世界一おかしなやり方でとった。給仕をする使用人もいないので、夕食はヴァンセンヌのレストランから持って来させていた。そうして、デザートを庭で摘んだということだ。日和は素晴らしく、のどかで、優しく、爽やかで、とても美しかった。要するに、それは並外れた幸福だった。僕は時々パリに行き、そこで起きていることやいつもの仕事の経過をフォローしている。今は、活動、仕事を倍加する必要がある。愛しい人の幸せのために割くことができた時間を1時間でも無駄にしたと思った時には、僕はそのことで自分を一日中責める。僕の妻は、本当に素晴らしく清らかな、優しい女性だ。僕が彼女に見出した美質のすべてが、彼女のような年齢の女優に見出されることがあろうとは、ほとんど信じられないくらいだ( C’est une créature bien délicieusement pure et bonne que ma femme; il n’est presque pas croyable de rencontrer chez une actrice de son âge tout ce que j’y ai trouvé. )。だから、数々の中傷よ、去れ。それらは、それを考え出した卑劣な者たちにふりかかればよいのだ。アンリエットはそんなものは物ともせずにいられるし、僕は彼女を信頼している。ああ!僕が自分の心の声に耳を傾けたのは正しかった。今まではそれ[心の声]に裏切られることがひどく多かったが、今回は、ただ真実だけを告げてくれた。僕はちょっとした演奏会を開こうとしている。費用が全然かからないから、収入は全部利益になる。1、2ヶ月後にはたぶん、並外れて大きな演奏会を開くためにリヨンに行き、アンリエットもそれに同行する。冬には、二人でプロイセンに行く。僕は給費を受けるために行かざるを得ないし、彼女は向こうでの英国悲劇への出演に関し、かなり条件のよい契約を提案されているからだ。僕は今、非常に困難な状態にいるけれども、両親の支援は、もう当てにしていない。それにしても、お父さんは、僕がそう仕向けた訳でもないのに、あまりにもひどい手紙を僕に書いてきた。その思い込みをどうにかしようと考えること自体、本当にどうかしているというほかないくらいだ。それがどれほど根拠を欠く思い込みか、たぶんお父さんも後で分かるだろう。君について言えば、天使のように優しい。僕は、君がその生き生きとした心で僕の幸福も不安も分かち持ってくれることを疑わない。
さようなら、大切な優しい妹よ、さようなら。
また別の機会に手紙を書く。そのときは、アンリエットの手書きの数行のメッセージを同封しよう。
僕に手紙をくれるときはいつもパリの同じ住所に宛ててくれたまえ。
愛する君の兄、
H.ベルリオーズ
1833年10月6日、月曜日[日付が正しいとすればその日は日曜日](了)
[書簡全集347]
訳注/上の妹ナンシーへの手紙
この手紙でハリエットとの結婚を家族に知らせた後、ベルリオーズは(その12日後の)10月18日に上の妹のナンシーにも長文の手紙を書き、ハリエットとの結婚に理解を求めている[書簡全集(第9巻)所収]。参考に、この手紙の要旨を以下に示す。
パリ発、1833年10月18日
ナンシー・パル宛
(要旨)[逐語訳ではなく、多くの省略があることに留意]
君は今年を通じ、厳しい沈黙を守っている[ベルリオーズとナンシーとの間の通信は、この年1月7日、ベルリオーズが、ハリエットと相思の間柄になったこと(及び言外に彼女と結婚するつもりであること)を打ち明ける手紙を(家族のうちで最初に)ナンシーに書き、次いで2月5日、その手紙へのナンシーの返事に強く反論する手紙を書いた後、途絶えていたようである]。僕が大きな過ちを犯していると思っているのだろう。その判断は、真実を知れば、違ったものになるだろう。僕は、これほど長く心から愛した女性と結婚することで、家族の心を遠ざけてしまうような罪を犯したのだろうか?きっと君はひどくばかげた話を聞かされているのだと思う。名誉にかけて誓うが、僕が生涯の伴侶に選んだ女性は、あらゆる点において、君が君の兄のために彼女にそうあって欲しいと望んでくれ得る程度に[=この上なく]純潔だ。全パリが8ヶ月前から僕を彼女の恋人だと思っていたが、それは誤りだ。
僕らがもし恋人同士だったとすれば、それは言葉の気高い意味においてであり、そのほかの意味においてではなかった。人は僕が彼女を資金面で支えているとうわさしたが、事実は、彼女は結婚3日前になって初めて必需品を買うための僅かな額を僕から受け取ることを承諾したにすぎない。その前に僕が出来たことは、見込み違いから陥った苦境から彼女を救い出すための働きかけや尽力だけだ。僕は人にそしられ、ありとあらゆる讒言を彼女の耳に入れられた。だが、最後には彼女も真実を知り、僕らは、家族の猛反対、治安判事の面前で証書を引き裂くという彼女の妹の行動、僕らを別れさせるために仕組まれた様々な策略にもかかわらず、波乱に満ちたそれぞれの運命を互いに結びつけた。僕は今日、彼女をヴァンセンヌからパリに連れ出し、妹から引き離した。この小さな憎むべき女(ひと)[ハリエットの妹、アンのこと]は、彼女に苦痛と悲しみしか与えなかったが、それでもこの別れは痛みを伴わないではなく、彼女の悲嘆は、僕をひどく苦しめた。僕らは困難な時期にいる。それでも僕にはまだ、勇気と何人かの友人がある。この二つと愛の助けで、僕はこの窮地を脱するだろう。数々の他の窮地もうまく乗り越えてきたのだから。
君がこの手紙をどう受け止めるかは分からない。だが僕は真実のみを語った。そうする義務を、僕は君に負っていた。カミーユ[ナンシーの夫]は、君以上に厳しい評価を僕に下しているかもしれないが、彼もまた間違っている。君たちには僕という人間が分からないのだ。さようなら。(了)
[書簡全集(第9巻)355を基に作成]
