手紙セレクション / Selected Letters / 1833年7月11日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1833年7月11日
フェルディナント・ヒラー宛

親愛な友よ、

僕が長く不合理な沈黙を守っているのをみて、貴君もたぶん推察してくれていることだろう。貴君が出立の際、僕をその状態に置いてくれた「自由」が、長続きしなかったことを。貴君がパリを出て2日後、アンリエットは直ぐに彼女に会いに来るよう[人を介して]僕に懇願してきた。僕は大理石のように平然としていた。2時間後、彼女は手紙を寄越した。僕はそれを送り返した。その後数知れぬ誓いや弁明の言葉があり、それらは彼女の正しさを完全に証明するものではなかったものの、少なくとも主要な点では無実の証明になっていたので、結局彼女を許すことになり、以来僕は、彼女から1日も離れずにいる。貴君の手紙が届いたとき、それを僕に手渡しに来た若者が自分の住所を残していかなかったので、貴君に頼まれた楽譜をそちらに送ることができなかった。それにしても、ずっと前から抱え込んでいるこの途方もない心配事がなかったら、もっと早く貴君に手紙が書けただろう。貴君は大切な人を亡くしたばかりだったのだから。もっとも、僕はそのことについて、ひどく月並みな慰めの言葉しか、貴君に掛けることができなかっただろうけれど。お父上は、貴君にとって子供時代から決して前言を翻すことのない友人で、教師というよりも案内役で、支配者ではなく庇護者だった。ああ!それはとても得難いことだ。その人との別離に、貴君はかつて味わったことのない、恐ろしい痛みを感じたに違いない。

こんなことを書くのはよくないのかもしれない。貴君の目に再び涙を浮かばせてしまうかもしれないからね。とはいえ僕は、その涙は、少なくとも苦いものではないだろうと思っている。

僕は、2日後にグルノーブルに向けて発つ。僕もまた父を完全に失ってしまったのかどうか、そして僕が家族皆から嫌われ者になってしまっているのかどうか、確かめなければならない。

僕の可哀想なアンリエットが歩き始めた。僕らはもう何度か一緒にチュイルリー宮殿まで散策している。僕は、歩き始めたばかりの我が子を見る母親の不安をもって彼女の治癒の進み具合を見守っている。それにしても、何と恐ろしい立場に僕らは置かれていることか!父は僕に何も与えようとしない。そうすることで僕の結婚を阻止できると思っているのだ。彼女は無一文だ。僕は彼女のために何もできないか、ごく僅かのことしかできない。昨夜は二人で2時間も涙にくれた。どんな口実によってであれ、僕の自由になるお金を彼女に受け取ってもらうことはできない。幸い、僕は芸術奨励基金( la Caisse d’encouragement des beaux-arts )から千フランの彼女への特別奨励金( gratification )を獲得した。近いうちに彼女に渡すつもりだ。僕が出発を遅らせたのは、このお金が出るのを待つためだ。僕から彼女に直接手渡したいからね。それが済んだらすぐ、僕は父からであれ、義弟からであれ、友人たちからであれ、さらには父の持つ財産のことを知っている高利貸したちからであれ、今置かれている恐ろしい状況から僕と彼女を救い出してくれる、数千フランのお金を調達すべく、出発する。

いったいこれがどう終わるのか、僕にはよく分からない。だから、貴君にはこの手紙を持っていてくれるようお願いする。僕に何か決定的な不幸が起きた場合には、僕がここに貴君に遺贈し、託す( confier )、僕の全ての音楽作品の手書き原稿について、貴君が権利を主張できるようにね。貴君が当地に来るのは2ヶ月後だ。だからその前に少なくとも一度は手紙をくれたまえ。僕は今も同じ住所、つまりヌーヴ・サン・マルク通り1番地にいる。僕が不在になるのは12日間だけだ。

さようなら。

H.ベルリオーズ(了)[書簡全集339]

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