手紙セレクション / Selected Letters / 1833年1月7日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1833年1月7日
ナンシー・パル[在グルノーブル]宛

愛しいナンシー、

暫く君を顧みずにいたことを、どうか許してくれたまえ。僕は絶えず落ち着かず、揺れ動き、夢中で、陶然としていて、耽溺していて、身を焦がすような種々の感覚に圧倒されていて、自分が生きているのかどうかを知る時間もほとんどないくらいなのだ。不安がもたらす鋭い痛みだけが、時折やって来て、僕にかつての自分を思い出させる。君がたぶん既に見破っているだろう秘密を、打ち明けるべきときが来た。

アンリエット・スミッソンが僕を愛している!!!その愛は、僕の彼女に対するそれのように熱に浮かされた愛ではない。愛情と友情と感謝の念とが混ざり合った感情だ。彼女は僕の演奏会に、それが僕の開催したものだと知らずに来た。会場で僕の姿を見て初めて、その人物が誰であるかを知ったのだ。彼女が僕を見るのは4年ぶりだった。彼女は、僕の作品全体、つまり交響曲とメロローグの両方が、僕の望みのない愛がもたらしたものにほかならないことを理解した。彼女は、僕のこれまでの苦悩に、僕の成功に、そしてこのような状況の下で君の心に思い浮かぶに違いないすべてのものに、涙を流した。彼女は、感激と祝意を表すメッセージを僕に届けてきた( Elle m’a fait faire d’enthousiastes compliments, )。彼女に紹介されることについての許しを、僕は彼女に求め、彼女はそれに同意した。数日を経て、僕は、5年前に彼女を初めて観て以来、僕が過ごしてきた日々のことを、彼女に語った。

オセロのように、僕は彼女を前に、愛と苦悩とが織りなしたこの悲しい布を繰り広げた。それを聴き、彼女はたくさんの涙を流した。その涙の流れる様子を僕がどれ程うっとりと眺めたか、君は分かってくれると思う。その後、彼女は妹のいる前で僕に愛を告白した。次には、僕は彼女に手紙を書く許しを得た。そうして遂に、僕らは週に3、4回会い、会えないときには互いに手紙を、彼女は英語で、僕はフランス語で、書きあうようになった。それからは、5年前から無益に押し殺してきた愛の、時の経過と不在とが僕の心に固着させた愛の、その熱烈さをもって、僕は彼女を愛している。彼女は、カミーユにまつわるエピソードを知り、そのことについて僕と話し、僕を許した。いまは、双方の家族の反対に抗(あらが)わなければならない。というのも、君には想像がつくと思うが、僕はもう彼女と決して別れないつもりだからだ。そしてこれ[彼女と決して別れないつもりであること]が、それ[家族の反対に抗うこと]が可能だということの、唯一の理由だ( Et ce n’est qu’à un seul titre que cela est possible. )。彼女は、カミーユのような女(ひと)とは違い、気高い精神( âme )と感性( cœur )とを持っている。ただ、彼女の気の弱さだけは、僕に不安を感じさせる。彼女はこれまで、家族皆に好きなように横暴な振る舞いをさせてきている。彼女の母親と妹は、彼女が結婚せずにいることに直接の利害関係を持っている。そして彼女は、年長であるにもかかわらず妹に恐れを抱いていて、僕には恐ろしく感じられるほど、その言いなりになっている。

僕らの計画については、次のとおりだ。僕はまず、自分が無一文だと彼女に告げることから始めた。「私にはその方が良いのです。」彼女は応えた。「そうであるなら、少なくとも私が貴方を愛するのは、ただ貴方だけが理由だということを、貴方が疑うことはあり得ないでしょうから。」

僕は後で僕の実際の経済状況を彼女に話した。彼女は、いまから18日から20日のうちに募金公演を一つ行う(これは僕が観に行くことに彼女が同意した唯一の公演だ。他のすべての彼女が予定している公演については観に行かないことを彼女に約束している。彼女は、[僕がそれらを観に行けば]この愛のすべてが詩的な作品と彼女の演技力によって高揚させられたイマジネーションが生み出したものにすぎないのではないかと心配になると言うのだ( Elle aurait peur, m’a-t-elle dit, que tout cet amour ne fut que l’effet de l’imagination montée par l’influence de la poésie et de son talent. )。

そこで、募金公演が終わったら、僕らはそれぞれ、彼女は彼女の母親に、僕はお父さんに、手紙を書く。僕は、お父さんとお母さんは、どのような反対も効果がなく、ただ大きな不幸を招くだけだということを十分理解してくれると思っている。彼女の母親は烈火のごとく怒るだろうし、彼女の妹も、ここ数日、僕らを容赦なく責め苛んでいる。だが、昨晩、彼女(アンリエット)は、あらゆる点に関し、非常に断固とした態度で僕に約束してくれた。僕は、彼女の約束を得た。

それにしても、何という責め苦だろう。僕は英語が話せないし、彼女もごくわずかしかフランス語を知らない。彼女は考えていることの半分も僕に伝えることができず、僕の言っていることが理解できないこともたびたびあるのだ!僕はじきに英語が分かるようになると思う。

彼女はもう、5年前に僕が彼女を観たときの優美な美しさを持っていない。かつてのほっそりとした姿は、失われている。それでも僕は、あの最初の日と同じように、彼女を愛している。この愛は、ただ心の中だけにあるもので、どうにもしようのないものなのだ( cet amour n’est que dans le cœur [et] rien n’y ferait, )。広大無辺な愛で、その歩みを邪魔しようとするものは、何であれ、僕に打ち砕かれずにいないだろう。僕はもう彼女のことしか考えていない。僕の抱いていたあらゆる疑念は、ある一つの想像を絶する情熱に、道を譲った。C.モークの讒言(ざんげん)は、僕が自ら行った調査の結果とアンリエットから得た情報を前に、崩れ去った。今は、新たな活動の企画は何もしていない。彼女を失うおそれのないことが確実になるまで、音楽も劇場向けの作品等も、すべて放っておく。それから、僕は鷲のように飛び立つ。僕らは、6ヶ月をロンドンで、6ヶ月をパリで過ごすだろう。これが僕の生き方だ( Voilà ma vie. )。

このことは、お父さん、お母さんには、まだ話さずにいてくれたまえ。話しても仕方のないことだから。手紙を書く日を君に知らせよう。そうすれば君も、君が僕への友情から僕のためにどうしてくれるのがよいか、気付いてくれることだろう( tu sauras le jour où j’écrirai et alors tu verras ce que ton amitié te suggèrera pour moi.)。

君は僕のことをよく知ってくれている。
考えておいてくれたまえ。
さようなら、君の兄で友の

H.ベルリオーズ

火曜日
追伸
奇妙なことに、今日、僕は穏やかな気持ちでいる。昨晩は彼女に個人的なことは一言も伝えられなかったのだが。彼女が泊まっている英国夫人の客間は、その晩の間中、混み合っていた。彼女は容色があまり優れなかったが、それでよかった!彼女があまり美しくないからといって、それで僕の愛が少なくなることはない。だが、彼女が詩的な美しさに満ちているときは、僕はひどく苦しんでしまうのだ!!( Elle n’était pas bien; tant mieux ! je ne l’en aime pas moins quand elle n’est pas si belle et je souffre tant quand elle est dans sa poétique beauté!!! )彼女は今夜、オフィーリアを演じる。5年と2か月、僕が観ていない役だ。彼女はボックス席の券を一枚、僕に贈ってくれた。だが、僕は絶対にそれを観に行ってはならない。その約束を、彼女はもう一度、僕に思い出させた。ああ、なんという愛だろう!

ああ、ナンシー、これは説明不能だ( c’est inexplicable. )。

僕に判定を下したり、誰であれ、僕を他の誰かと同じに扱ったりしてはいけない。

芸術家としての僕の生き方、僕の頭( tête [頭の働き、気質等を意味する。出所:小学館ロベール仏和大辞典])と心( cœur [理性に対する感性を意味する。出所:同])のせいで、僕は、家族の他の誰からも完全に孤立した存在になっている。この点を納得してくれることが重要だ。

H.B.(了)[書簡全集308]

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