手紙セレクション / Selected Letters / 1832年5月13日(28歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

フィレンツェ発、1832年5月13日
フェルディナント・ヒラー宛

昨日、当地入りした。郵便局に行ったが、届いているはずだと思っていた3、4通の手紙はなく、貴君の手紙だけが見つかった。つまり、今回は貴君の几帳面さが際立った訳だ。だが、それにしても、何とおっちょこちょいなのだ、貴君は!どうしてこれほど多くのことを忘れてしまうのか?・・・貴君に借りていた200フランを返すのに、例の有名なメダル[ローマ賞の受賞メダル]を売ったお金で間に合ったのかどうかすら、知らせてくれていない。善良なグネ君が元気かどうかに一言触れることも忘れている。あの太っちょ女(l’hippopotame[カバ。モーク夫人のこと])から貴君が預かった包み[在中品はベルリオーズがカミーユ・モークに贈った品々。上記メダルもその中にあった]を、彼に託してくれたのかどうかについてもだ。

僕は、何の心残りもなくローマを後にした。アカデミー[在ローマ・フランス・アカデミーのこと]での収容生活はいよいよ耐え難くなっていたからね。夜はいつもオラス氏[アカデミー館長、オラス・ヴェルネのこと]の家で過ごしていた。氏のご家族を、僕はとても好きだった。彼らは僕が発つとき、終始、心からの愛情を示し、名残を惜しんでくれた。それは、あまり期待していなかっただけに、心に沁みた。ヴェルネ嬢はかつてないほど美しく、ヴェルネ氏は、今も若者のようだ。フィレンツェに再び入ったときは、とても感慨深かった。この街は僕の愛してやまない場所だ。この街の名前、空、川、梁[ses poutres]、宮殿、空気、住人たちの気品と洗練、街の郊外。そのすべてが僕には好ましい。何もかもとても、とても気に入っている(tout, je l’aime, je l’aime.)。僕はここで、ショロンの教え子だったデュプレ[フランスのテノール歌手。後年、ベルリオーズのオペラ、『ベンヴェヌート・チェリーニ』の初演の主役(チェリーニ)を歌った]と旧交を温めた。彼はこの地の人気歌手になっていて、ペルゴラ劇場で1万5千フランもの稼ぎがある。その上、正真正銘の優れた才能と魅力的で音程の良い声を持ち、音楽もよく分かっている([qui] a un vrai et un grand talent, une voix délicieuse et juste, et sait la musique)。ヌリのような演技派ではないが、歌唱力は彼に勝(まさ)っている。彼(デュプレ)の声は、音色に、より素朴で個性的なところがある(Il n’est pas acteur comme Nourrit, mais chante mieux, et sa voix a quelque chose de plus naif et de plus original dans le timbre.)。彼は間違いなく、数年後にはパリで熱狂を引き起こすだろう。彼は、貴君がパリに来る前、僕の最初のコンサートで歌っている。昨晩、僕らは幕間に、そうした交流のあった頃をかなり楽しく振り返った。二人ともそれから幾分の進歩を遂げた。僕は6、7歩、彼は3、40歩だ。

エルバ島にも、コルシカ島にも、行くのはやめにした。目下、衛生上の規制と不愉快な隔離が行われているからだ。3日後にはミラノに向けて発つ。長くて1週間、そこで過ごした後、まっすぐにグルノーブルの妹の家に向かうつもりだ。その後ラ・コート・サンタンドレ(イゼール県)に行くので、手紙はそこに宛てて送ってくれたまえ。ミラノでは、ローマで知り合った貴君の同国人の才人、ド・サユエル氏(M. de Saüer)と再会する予定だ。彼は、まだ幼かった貴君と、ウィーンで会ったと言っていた。メンデルスゾーン、ベリーニをよく知っていて、ベリーニと僕の間のなかだちをしたいとの熱心な申し出を受けたが、僕はそれを固辞した。昨日、[ベリーニのオペラ]『夢遊病の女(la Sonnambula)』を観たが、そんな交際は御免蒙りたいとの思いは一層強まった。何という音楽だ!!!あまりに惨めだ!!!フィレンツェ人ですら、盛んに野次を飛ばしていた。だが、彼らにお似合いの音楽ではある。ああ、友よ!この国の住人たちが厚かましくも音楽と呼ぶものがどんなものか、貴君もイタリアに来れば得心がいくことだろう!・・・

パリ入りは11月か、12月の予定だ。それまでは、南仏を離れることはまずないだろう。フランクフルトに招待してくれて有り難う。いつになるかは分からないが、いずれお言葉に甘えたいと考えている。

さようなら、親愛な友よ。貴君を抱擁する。

H. ベルリオーズ

追伸
リシャールの住所を知っていれば、手紙を書くのだが。彼はひどく怠け者だから、貴君が予告してくれている彼の手紙は、当てにならない。

追伸
愚かで退屈な追伸をもう一つ。僕はすっかり沈んだ気分になっている[Voilà une sotte et froide lettre, je suis tout triste.]。フィレンツェを再訪するたびに、不可解な心の動揺、曖昧な昂りを覚える。ここには知り合いが一人もない・・・特別な出来事[aventure〜「色恋沙汰」の意か]があったこともない・・・ニースに滞在していたときと同じで、一人きりだ。この街がこんなおかしな作用を僕に及ぼすのは、たぶんそのせいだろう。実に奇妙だ。フィレンツェにいると、僕はもはや僕でなく、美しいアルノ川の岸辺を歩いているどこかのロシア人かイギリス人のような、見知らぬ人になったように感じる。ベルリオーズはどこか別の場所にいて、僕はその知り合いの1人であるかのような感じがするのだ。僕は、しゃれ者を演じ、お金を使い、もったいぶった愚か者のように腰を下ろしている[Je fais le dandy, je dépense de l’argent, je me pose sur la hanche comme un fat.]。さっぱり分からない。
これは何なのか?(What is it?)・・・

(了)[書簡全集270]

次の手紙

年別目次 リスト1(1819-29)  リスト2(1830-31)    リスト3(1832-)