凡例:緑字は訳注
ラ・コート・サンタンドレ発、1831年1月10日
モンフォール宛
親愛なモンフォール[先行してローマ入りしていたローマ賞(作曲)同期受賞者]君、
パリに留まったまま給費を受けるための内務省への働きかけがことごとく不首尾に終わり、フランスにとどまっている理由が、もはや、なくなってしまった。済まないが、オラス・ヴェルネ氏[『ヴィラ・メディチ』(在ローマ・フランス・アカデミー)~ローマ賞受賞者のイタリアでの寄宿先~の責任者。高名な画家。]に、僕が2月前半にローマに着く予定だということを、伝えてくれないだろうか。12月28日にパリを発ったのだが、今も父のところにいる。父の健康状態が優れず、当地に留まらざるを得ないのだ。
不在期間中の給費が失われないことについて、館長[ヴェルネ]の言質を得ておいてくれると、大変助かる。
僕の演奏会が途方もない成功を収めたおかげで、C・・を母親から得るについての障害は、もはやなくなっている。
M・・夫人が承諾を与え、僕らは婚約した。
さようなら。このことは、まだ他言しないでいてくれたまえ。
敬具
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集204]