手紙セレクション / Selected Letters / 1829年3月2日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年3月2日
アルベール・デュボワ宛

親愛なアルベール、僕はまだ家にいる。・・・思い遣りに満ちた貴君の手紙に、心から感謝している。すべては、終わった。・・・貴君と別れてから、僕はオフィーリアに英語で手紙を書き、せめて一言でも返事をくれるよう、改めて懇請したのだ。だが、使用人たちは、僕の手紙を彼女に取り次ぐ気がまったくなかった。彼らは、僕からは何一つ受け取らぬよう、彼女から明確に指示されていたのだ。それでも、例の公演は、催された。僕は、激しい苦痛に苛まれながら、自分の序曲[『ウェイヴァリー』]を聴いた。演奏は、期待していたよりはうまくいき、がらんとした会場に姿を見せていた、僅かな数の聴衆に、そこそこの効果をもたらした。再びジュリエットを観て、2年前このかた味わっていない、あの尋常ならざる、胸を引き裂くような感覚を、また経験することは、完全に自分の力に余ることだと感じたので、最後の音符を聴いてすぐ、彼女の声を聴くことすらなく、僕は、退散した。公演が続いている間、彼女の家に行き、タルテ氏に会った。彼は、その家の所有者で、ある幸運な事情から、僕の不幸な身の上を、はじめから知ってくれている。この立派な人は、僕が置かれた状態を知って、少しばかり元気を出させようと、僕を招いてくれていたのだ。彼は、その晩、僕のために、僕への返事を英語で聞きだしてくれることを約束してくれた。彼は、前にもそれを試み、不首尾に終わっていた。彼は、僕がすでに疑いを持っていたことを、教えてくれた。僕が胸に抱くよう仕向けられた希望は、すべて偽りだったのだ。彼によれば、彼女は、前年、あるきわめて有力な相手からの求婚を、不可解なほどすげなく、断ってしまったのだそうだ。また、僕に関しては、[結婚の相手では]絶対にあり得ず、返事をしなければならないとも、思っていないと話したとのことだ。
それでも、彼は昨日、せめて二言(ふたこと)、三言なりとも、僕に返事をしてくれるよう、もう一度、彼女に頼んでくれた。
彼女の答えはこうだった。「お願いですから、もうその話は、なさらないでください。」―――「まことに申し訳ありません、スミッソンさん。それでも、何とかお聞き届けいただきたくて、こうしてお願いしているのです[原文:Mademoiselle, je vous demande pardon, mais je vous en parle de manière à ce que vous puissiez m’entendre. ]。」―――「ああ、本当に!前にもお話ししたはずです。2年前、ベルリオーズさんから申し込みがあったとき、お気持ちを共有することは、絶対に不可能です、とお伝えしているのに、なぜ諦めてくださらないのか、私には、理解できません。」―――「そうすると、もうこれは、まったく不可能なのですか?」―――「ああ、タルテさん、これ以上に不可能なことは、ほかにありません。」タルテ氏によれば、そのときの彼女の声色(こわいろ)と表情は、彼女の言葉より、遥かに多くのことを語っていたという。彼女には、何か明かしたくない秘密があり、そのために、たとえ本人がそうしたいと強く望んだ場合でも、絶対に何事も約束することができない立場に置かれていることが、伺えたのだそうだ[原文: On voyait qu’elle ne voulait pas découvrir un secret, qui la mettait dans le cas de ne pouvoir absolument contracter aucun engagement lors même qu’elle en aurait le plus ardent désir. ]
彼のみるところ、そしてこれは、彼女に毎日会い、彼女が漏らす言葉を耳にしている人が受けた印象なのだが、彼女は、ロンドンで自らを誰かに確定的に結びつける約束をしているか、あるいは、秘密の結婚すら、しているのかもしれないという。・・・だが、彼とて、何ら確信がある訳ではない。とはいえ、あらゆる状況が、彼女がもはや自由の身ではない・・・どのようにであれ・・・ということ、そして、彼女が、いかなる不実の疑いをも、その影すら、ひとつたりとも、寄せ付けずにいることを望んでいることを、示している。
このようなことを聞くと、僕には、彼女がなおさら愛しく感じられる。僕は、呻吟しつつ、彼女に、感嘆している。・・・何という運命か。・・・2年間の苦悩から、それは始まった。・・・終わらせるのに、あと何年かかるのだろうか?
彼女は、明日、パリを発つ。
涙は、少しも出ない。苦しみも、ほとんどない。・・・苦痛の過剰が、僕を無感覚にしている。こうした生活にも、あるいは、慣れてしまうのかもしれない。だが、僕には、あたかも自分が、円周が絶え間なく拡大し続けている円の中心にいて、実在の世界も知的な世界も、その円周の上にあって、絶えず自分から遠ざかっており、ただ自分だけが、ますます深まる孤立の状態に、追憶とともに、とどまっているように感じられる。朝、眠りが僕をそこに投げ込んでいた虚無を脱すると、とても安楽に幸福の観念に馴染まされていた僕の精神は、微笑しながら目を覚ます。だが、この束の間の夢想は、耐え難い実人生の認識に、速やかに道を譲る。それは、そのすべての荷重をもって、僕を再び打ちのめし、死に至る戦慄をもって、僕の全存在を凍りつかせるのだ。
僕は、自分の考えをまとめるのに、ひどく苦労している。貴君を安心させるためでなかったら、この手紙を書くこともなかっただろう。ひどく疲れるからだ。末尾に行き着くまでに、何度も手直ししなければならない。
昨日は音楽院の演奏会に出掛けたが、ベートーヴェンのイ調の交響曲[7番]が、そこで、炸裂した。僕は、この作品の名高い瞑想曲[第2楽章]を、ひどく恐れていた。初めてそれを聴いた聴衆が、アンコールを望んだ。何という責め苦だったことか・・・・。ああ!2度目の演奏を、もし涙を流さずに聴いていたなら、僕は、狂ってしまっていただろう。
天才の手になる、ひどく暗澹としていて、きわめて思索的な、この想像を絶する創作物は、適切にも、より人を陶酔させる歓喜・・・より純真無垢で、より優しい歓喜がもたらすすべてのものの、狭間(はざま)に置かれている。あるのは、ただ二つの観念のみだ。一つは言う。「我思う、ゆえに我苦悩す」と。また一つは言う。「我追想し、さらに苦悩す」と。ああ、気の毒なベートーヴェン!されば、彼もまた、その胸中に、自らは決して入り得ぬ、幸福の理想世界を、抱いていたのだ。
今は、何をなすべきか!・・・誰のために思考すべきか・・・誰のために書くべきか?成功が、僕に何をもたらすのか?生きることが、僕に何をもたらすのか?・・・僕はいま、[トマス・]ムーアを読んでいる。彼の歌曲集は、時に、僕に涙を流させる。この人は、彼女の同国人だ。アイルランド、今もなお、アイルランドだ!今、僕が目にしているのは、次のくだりだ。「薔薇の芳香を最も深い陶酔をもって呼吸する胸は、いつも最初に、その棘に引き裂かれる」この詩人もまた、人生を生き過ぎたのだ[の意か?原文:Le poète a vécu trop aussi.]
昨日、家の前の通りを歩いていると、破れた大きなポスターが、目にとまった。そこには、こうあった。

本日、水曜
『ロミ・・・と
ジュリ
シェークス・・・・の悲劇
エク・・・・・・オーズ氏作曲による序・・・・
『ウェイヴァ・・・・に続き・・・
ジュリエット役を演じるのは・・・・・ッソン、
・・・出発前の最後の・・・
最終演目は・・・
『許嫁・・

なんという偶然の戯れだろう!
僕がそちらへ行くことはできない。関節という関節が痛む。
彼女はいま、灯りを消した。間もなく休むのだろう。愛する人の許へ帰るとの想いが、彼女を優しく揺らすだろう。
彼女のアパルトマンでは、まだ母親が働いている。僕の窓の下から、仮装した人々の騒ぐ声が聞こえる。2輪馬車の音が、僕の部屋の窓と彼女の部屋の窓とを、同時に振動させる。明日には、向こう側の部屋の主は、いなくなる。
僕は、朝早く家を出る。彼女が発つのは、正午だ。[フェルディナント・]ヒラーは、10時に、僕の訪問を待っていてくれる。彼は、僕に、ベートーヴェンのアダージョを弾いてくれることになっている。僕の目は、今夜のように、乾いたままではいないだろう。ただそのことだけを、僕は期待している。
さようなら・・・何という静けさだろう・・・
心配しないでいてくれたまえ。打撃は放たれ、僕は、打ちのめされた。だが、命は、取りとめた。
カジミールが、僕が手紙を書かずにいることを、許してくれるとよいのだが。後で、貴君に本を送るとき、彼にも書くつもりだ。(了)

次の手紙 年別目次 リスト1