手紙セレクション / Selected Letters / 1829年3月29日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年3月29日
ナンシー・ベルリオーズ宛

8時半に、僕は家に帰って来た。すぐに寝るつもりだった。晩が空いていたので、眠ることで、この執拗な嫌悪と憂鬱の害毒から、逃れるようと思ってね[原文:pour échapper par le sommeil à ce fléau obstiné du dégoût et de l’ennui]。すると、手紙が3通、来ていた。僕の2人の妹たちと、シャルル・ベールからだ。正直に言って、眠らない[で手紙を読む]方が、[嫌悪、憂鬱を逃れる目的には]有益だと思った[原文:J’avoue que j’ai trouvé qu’il valait mieux ne pas dormir.][思惑どおり、]シャルルの手紙は、僕を愉しい気持ちにさせ、笑わせてくれた。アデールの手紙も、僕を、笑わせこそしなかったが、愉しい気持ちにさせてくれた。ところが、君の手紙は、僕を、愉しい気持ちではなく、悲しい気持ちにさせた。僕は、寝るのをやめて、君に返事を書きたくなった。僕だけに関わることでなく、君に関わるがゆえに僕の心に訴えることについて、君に話したくなったのだ。僕は、友情の場合も、真実の愛の場合と、事情は同じだと思う。その人の不在が、その人への気持ちを、いっそう強くするのだ。君から手紙をもらう度に、僕は、君をいっそう愛しく感じるようになるようだ。僕はどれほど、君の幸福な姿を見ることを望んでいることか!―――君と僕の性格には、互いに響き合う、よく似たところがある。だが、僕は、そのことに気付くにつれ、君の将来に、懸念が増すのを感じる。君の内面に、知性や感性が育つにつれ、君が苦悩する可能性が高まっていくことが、明らかだからだ。僕と違って、君は、強力な気晴らしの手立てを持っていない。もっとも、現実には、君の場合、それほど差し迫った、抗いがたい必要性は、ないのかもしれない。それでも、僕は思うのだが、パリで暮らしていること、この場所の新鮮で刺激的な雰囲気には、とても大きな価値がある。あるいは、いつか・・・。実際、これは、君には想像もつかない暮らしだ。僕が享受している、この心地よい自由ひとつにしても、[ラ・コートにいる]君には、手に入らないものだ。時おり、耐え難く明るいパリの陽射しの中、大通りで、あるいは、チュイルリー宮殿の庭園の真ん中で、2、3時間だけ、差し迫った用事が何もない状態になることがある[原文:Quelquefois seul deux ou trois heures quand il fait ce beau soleil qui me supplicie, je me trouve sans occupations pressantes sur le boulevard ou au milieu du pardin des Tuileries ]・・・どの方向へ行こうか?南へ。その方向へ行くと、何があるのか?・・・何も。では、東や西はどうか?何も。では、北はどうか?・・・霧、氷、風と嵐の本場は、北だ[ c’est au nord que se trouve la patrie des brouillards, des glaces, des vents et tempêtes … ]・・・いや、何もない。
いつのまにか、パンドラの箱が開(あ)きそうになっていることに気づいた。さあ、箱よ、元通り、閉じるがよい!・・・ただ、僕は、自分に向かって、次のように言えることは、ひどく喜ばしいことだと、言いたいだけだ。つまり、僕は自分の行きたいところへ行く。さもなければ、行かないし、何もしない、とね[原文:Je veux dire seulement qu’il est fort agréable de pouvoir se dire : j’irai où je voudrai, ou bien je n’irai pas, je ne ferai rien.]
愛しい妹よ、はっきり言うが、僕は、両親が[と解した。原文には、行為者を特定しない主語、 on が用いられている。]、君の縁談のことを、今まで僕に一切黙ったままでいることを、内心、悲しく思っている。僕は、他の人たちから聞いて、これまでに何度もその話が持ち上がっていることを、知っているのだ。僕に知らせたところで、どうにもならないと言われれば、確かにそのとおりだが、このような差し控えを、僕に対してする必要は、たぶんなかったと思う。これでは、まったくの他人扱いだ。だが、こんな話は、やめておこう。論難は、哀れむべき卑小な行いだから。
さて、話すことは、これで全部だったかな・・・
ああ、そうだ!美しいもの、壮大なもの、崇高なもののことを、君は、話題にしていたね。・・・そうしたものは、ここにはたくさんある・・・すべて、暗い闇のなかに [と解した。原文:Ah ! tu me parles du beau; du grand; du sublime … en voilà une foule … toutes sombres. ]。だが、崇高なものが、誰にとっても崇高だとは、限らない。ある人を夢中にさせるものが、他の人には、理解できなかったり、時には、ばかばかしくさえ、感じられたりする。また、教育に由来する偏見もあるし、さらに、体質も、人それぞれだ。崇高なるもの[と解した。原語:les Génies。天才、又は、天才の霊感又は作品とも、解することができると思われる。]が、その飛翔において、さらなる高みに昇ると、それにつれ、それ[崇高なるもの]は、その人たちのためにそれ[同]が作られたと思い込んでいる人たち[聴衆一般を指すと解される]が理解できる範囲を、遥かに超えた領域に入ってしまう。こうしたことは、とりわけ、音楽と劇文学においてみられる[ベートーヴェンとシェースクピアが特に念頭にあると思われる]。先日、僕は、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲の一つ[第14番作品131、嬰ハ短調]を聴いた。バイヨ氏が、彼の[四重奏団の]ある夜の公演で、この作品を取り上げたのだ。この想像を絶する作品が、聴き手にいかなる効果を及ぼすかを知りたくて、僕は、会場に馳せ参じた。そこには、300人近くの聴衆が来ていた。僕ら6人は、各々(おのおの)が経験した感情の真実性に、半分死んだようになってしまった。ところが、この作品を、ばかげている、不可解だ、野蛮だ、云々と感じなかったのは、僕らだけだったのだ。・・・息をするのも困難なほどの高みに、彼[ベートーヴェン]は、昇っていた。・・・この四重奏曲を書いたとき、彼は、聴覚を失っていて、彼にとって、世界は、ホメロスにとってと同じように、「その人の広大無辺な心のなかに封じ込められて」いたのだ。
これは、彼自身のための、あるいは、彼の天才の計り知れぬ前進に付き従ってきた人々のための音楽だ。ほぼ同じ領域にまで飛翔した人が、もう1人いる。ウェーバーが、その人だ。そのすぐ後に、スポンティーニが続いている。彼[スポンティーニ]は、イタリアに生まれるという不運に見舞われたが、それにもかかわらず、その[=イタリア楽派の]陳腐なスタイルを、完全に棄て去った。そうした初期の刻印は、彼の思考( ses idées[「楽想」の意も])が進む方向に、一定の影響を保ち続けたと、僕は思う。彼はその後、専ら劇的音楽の分野で作品を書くようになった。ああ、『ヴェスタの巫女』よ!・・・さて、君自身のことだが、君は、シェークスピアは解しないし、ムーアに夢中になることもない。その方が、たぶん、良いのだと思う。確かなのは、君は、努めて「私は幸福だ!」と自分に言い聞かせようとしている、ということだ。実際には、そうでないのに。一方、僕は、苦もなく、「僕は不幸だ!」と自分に言うことができる。そして、実際、不幸なのだ。さあ、笑ってくれたまえ。可笑しなことを書いたのだから。ほんの冗談だけれどね。
君は、『死刑囚最後の日』は、読んだだろうか?ひどい難儀に遭遇する、とは、まさにこのことだね。それから、ジャン・パウル。これぞ、思想家だ!この人は、僕の嫌いな、他にいくらでもいる、冷淡な衒学者とは違う。
君は、[フェリクス]叔父さんのことも書いているね。叔父さんとは、先週、こちらで会った。彼は、一昨日、当地を発った。この話については、とても長い手紙が書けるだろう。
さようなら、なんとも種々雑多で、脈絡のない手紙になってしまったね。とはいえ、それらには、一つだけ、共通点がある。それは、君への僕の友情だ。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集120]

訳注/この手紙は、以下の書きつけを下書きに書き送られた、彼女の手紙(逸失)に対する、エクトルの返書とみられる。

ラ・コート発、1829年3月20日、
ナンシー・ベルリオーズから兄エクトル宛[ナンシー・パル(旧姓ベルリオーズ)の子孫、ルブル家に伝わる、未完の草稿]

大切なエクトル兄さん、私たちは、たいそう矛盾しがちな存在です。兄さんに手紙を書く望みを叶えることができない、何かの障りがあるときには、手紙を書く気になれないことや、どうしても書きたいという抗いがたい気持ちにならないことなど、まずないというのに!ベール大尉が兄さんと知り合うきっかけになるよう、兄さんに手紙を書こうと思って、何日も前からそのつもりでいた今日という日に限って、私は、ある種、無気力、怠惰な気持ちになってしまい、私のペンは、そのせいで、いつもより、ずっと重いのです。私の日常の、平凡で取るに足りない出来事のなかからは、わざわざ兄さんに知らせる値打ちのあるものが、何も見つかりません。実は、私は、気晴らしになることが、どうしても必要な状態になっています。何か感情を掻き立てるものを、強く待ち望んでいるのです。大事件や、新たな観察の対象になるものを、私は、欲しています。希望も不安も呼び起こすことのない、実りのない今の生活に、私のイマジネーションは、絶対に満足することができないのです。・・・(了)[書簡全集119]

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