凡例:緑字は訳注
ヴァランシエンヌ発、1823年6月2日
フェリクス・マルミオン[エクトルの母方の叔父]からベルリオーズ医師宛
親愛なルイ、すると貴方は、どうすることもできないご子息の性向に、譲歩されたのですね。その判断に至るまでに、貴方がどれほど苦慮されたか、あの子が貴方にもたらしていた素晴らしい希望を断念することが、貴方にとってどんなに辛いことだったか、僕にはとてもよく分かります。僕は、貴方の判断に、全面的に賛成します。なぜなら、僕は、貴方が、彼をラ・コートに帰らせてみて、彼には医学も法学も修める気がまったくないということを、確信されたに違いないと思うからです。だとすれば、これは、過ぎ去るのを待つほかない危機です。僕の知るエクトルの気概やプライドからして、彼は、完璧になし遂げるか、自ら嫌気がさすか、そのどちらかだろうと、僕は思います。仮に後者の場合だったとしても、まだ可能性はあるでしょう。彼が受けた教育からして、彼は、なお多くのことに、能力を発揮すると思います。この点は、何度も貴方に言ってきましたし、僕の固執するところです。つまり、そのことだけからしても、貴方が行った選択は、それほどひどいものではないのです。ただ、貴方にとっては、大いに忍耐が必要でしょう。成功しなかった場合、貴方の言葉によってではなく、彼自身が熟慮した上で、自ら道理を悟る必要があります。貴方の助言は、彼を憤慨させ、頑固さや、誤った羞恥心から、硬化させてしまう可能性があります。我々は皆、彼の独特な志向と戦ってきた訳ですが、ありがたいことに、我々としても、全力は尽くしたといえるでしょう。今は、彼の好きなようにさせ、彼が自ら進んで語るのでない限り、何も訊かないようにしようではありませんか。僕はまだ、彼がパリに戻ってから、何の報せも受け取っていません。姉の手紙によれば、彼はパリにいるはずなのですが。僕は、彼の住所が分からず、アルフォンスの住所も、失くしてしまっています。とはいえ、彼がいまどうしているのか、どこにいるのか、大いに知りたいところです。・・・(了)[書簡全集1巻48頁注1]
訳注 / 2度目の帰省(1823年)の結末 ~ 父の譲歩、母の呪い
1823年5月、ベルリオーズ医師は、議論の末、息子に譲歩し、パリに戻ること、音楽の勉強を続けることを許した。バリに帰還したエクトルは、4月末に再開されていた医学校には、復学していない。他方、パリ帰還の半年余り後には、同地で理学士の学位を取得している。
なお、2016年に刊行された書簡全集第9巻(補遺)[ Nouvelles lettres de Berlioz, de sa famille, de ses contemporains, Actes Sud / Palazzetto Bru Zane, 2016 ]には、回想録10章に語られている「母の呪い( sa malédition )」が、この年の帰省の際の出来事だったことを示す、1823年7月24日付けのベルリオーズの手紙が収録されている(パリ発、母ジョゼフィーヌ・ベルリオーズ宛。母の呪いの言葉に触れ、せめて一言でも、自分の手紙に返事をくれるよう、懇請する内容。)
パリ帰還後のエクトルは、ル・シュウールの指導と励ましを受け、作曲の修業に専心する。