手紙セレクション / Selected Letters / 1831年6月14日(27歳)

凡例:緑字は訳注

ローマ発、1831年6月14日
トマ・グネ宛

親愛なグネ君、親切で心のこもった手紙を書いてくれて、本当にありがとう。貴君らの近況が聞けなくなって、すでに久しい。・・・僕らが会えなくなってから、実に多くのことが起きた。・・・[ローマ賞受賞者に対する]給費の払い出しをサルディニア王国内で受けることに、オラス氏[在ローマ・フランス・アカデミー館長]が難色を示したので、僕は、受給権を危険に晒(さら)すことのないよう、慎重に行動することにして、ニースを発ち、この地[=ローマ]の兵舎[在ローマ・フランス・アカデミーの館、「ヴィラ・メディチ」のこと]に舞い戻った。貴君の手紙は、僕が出た後にニースに届いたのだが、かの地の郵便局長は、僕との約束を違えず、ここローマまで律義に転送してくれた。だから、ほかならぬ貴君がその返事の到着を予告してくれている、パリの友人諸兄とヒラーとが、このように沈黙を守っていることは、どうにも説明がつかない。済まないが、ヒラーの家に寄り、なぜ返事をくれないのか、突き止めてくれないか。いったいぜんたい何が、リシャールとデマレのペンを、ここまで鈍らせているのだろうか。・・・実に不可解だ。
フェランの手紙が最近届いたが、それは、スイスからだった。ピクシスは、フィレンツェに向けて返事を書いてくれたが、僕はそれを、ニースで受け取った。彼は、カフェ・フェドーに毎晩来ているはずだから、もし出会ったら、是非宜しく伝えて欲しい。
僕は大いに仕事をしている。今は、『ある芸術家の生涯の挿話』[『幻想交響曲』のこと]に続く、メロローグ[後に『レリオ、又は生への帰還』と題されることになる作品のこと]をひとつ、仕上げようとしているところだ。[『幻想』]交響曲の後に続けて演奏し、演奏会を完結させる作品だ。「語り」の部分の台詞は、この前の旅のサン・ロレンツォからローマへ向かう道中で作った。僕は、馬車を後に残してゆるゆると歩きながら、持っていた紙挟み上の紙に、それらを書き留めていた。音楽も出来ていて、あとは筆写するだけだ。この作品には、モノローグ(独白)が6つと、音楽が6曲ある。音楽は、独唱、合唱、オーケストラ、それに合唱付きオーケストラだ。僕の文芸作品小手調べ[『レリオ』となるべき作品中の語り手の独白のこと]を、貴君に見てもらい、助言をもらうことができないことが、どうにも残念だが、それは、差し当たり後回しにせざるを得ないというだけのことで、いずれそうしてもらいたいと思っている[ Je regrette bien de ne pouvoir pas vous montrer mon coup d’essai en littérature, et profiter de vos conseils, mais ce n’est que différé. ]。詩については、脚韻探しに血道を上げて、時間を無駄にすることは、しなかった。調子の整った律動的な散文で、ときに韻を踏むこともある、といったものを、僕は作ったのだが、音楽のためには、それで十分だ。こうした考えを僕に与えてくれたのは、[トマス・]ムーアだ。とはいえ、それにより僕の作品中の音楽の存在が正当化され、僕は、あるひとつの劇の形式の下に、主題を示していく[ C’est Moore qui m’en a donné l’idée; toutefois, la présence de la musique est justifiée dans le mien et c’est sous une forme dramatique que j’ai présenté le sujet. ]。場面は、サバトの夜の夢[=『幻想交響曲』最終楽章]の後、芸術家が生へと帰還したところから、始まる。
今回の旅[フィレンツェ・ニース行のこと]は、3つの新作を、僕にもたらしてくれた。『リア王』序曲、『ロブ・ロイ』序曲、それに、『メロローグ』だ。これらの作品にどれほどの値打ちがあるものか、確かなことは分からないが、旅行の費用が1050フランにもなったことは、確かなことだ。それにしても、僕の目的が遂げられずに終わったことは、いかにも幸いなことで、僕は今、この出費を悔いてはいない。
貴君は僕に、ヴィクトル・ユゴーの新作小説のことを書いてくれている。貴君が知らせてくれる前から、僕は、この本が読みたくて仕方がなかった。だが、ローマでそれが見つけられるだろうか?この作品を読むには、もう一度フィレンツェまで出掛けなければならないだろう。あそこになら、とても素晴らしい閲覧室があるからね。ローマは、僕の知る限り、最も愚かで、つまらない都市だ。まともな頭や心をもった人であれば、ここには住まないだろう。ここで求められるのは、外的な感覚だけなのだから。
このいまいましい兵舎[「ヴィラ・メディチ」のこと]で、僕は、芸術家としての精神の持ち合わせを欠く、粗野な人間たちに囲まれている。そうした連中との付き合いや、彼らのばか騒ぎは、僕をひどく苛立たせる。あまり変わり映えのしない例外も、二、三人ばかり、いるにはいるが、それ以上のことはない[ il y a deux ou trois exceptions peu tranchées, mais c’est tout. ]。ああ!いつになったら、再び経験することができるのだろうか、[パリ]証券取引所前のカフェで貴君と向き合い、二人で紅茶漬けになりながら、暗い部屋、憂鬱とともに過ごした、あの夕べを![ Dieu, quand reverrai-je nos soirées de tête-à-tête avec notre bain de thé au café de la Bourse, avec un cabinet sombre et la spleen ! ]
せめて独りでいられたら、あるいは、せめて微笑む僕の街、ニースがそうだったように、褒め称えるべき海が目の前にあるなら、僕も嘆きはしないのだが(何故なら僕は海がとても好きだから)。毎週木曜には、オラスさんの公邸で盛大な夜会があり、ダンスが行われる。ときには、日曜日にも。これらの集まりがどれほど僕にとって楽しいことか、貴君には、分かると思う。
もし、この手紙で話題にしたことが、貴君をひどく退屈させたのでなかったら、貴君には、出来る限り多くのことを僕に書いて送ってくれるよう、そして貴君のことや貴君がいましていることについて、僕に話して聞かせてくれるよう、お願いしたい。僕が几帳面に返事を書く人間かどうか、貴君に知ってもらうことができると思う。
さようなら。この上なく大切な友だと、僕はこれまで貴君のことを思っていたが、それは、間違いだった。今では、前よりももっと、貴君が大切です。

H.ベルリオーズ(了)[書簡全集231]

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