手紙セレクション / Selected Letters / 1831年4月21日(27歳)

凡例:緑字は訳注

ニース発、1831年4月21日
ベルリオーズ医師[家族全員]

はてさて、僕が心配していたのは、間違いだったのでしょうか?カミーユが、プレイエルと結婚しました!( Camille épouse Pleyel ! )母親が手紙で知らせてきました。信じられない厚かましさで、僕を娘婿に迎えることに一度も同意していなかったかのような書きぶりです。ここまで恥知らずな不実は、前代未聞です。つまりは、こういうことだったのです。モーク嬢は、僕が彼女を意識もしていなかったときに、彼女の方から僕を愛していると告白し、愛してくださいとひざまずいて懇願したいとか、僕と逃げたいとか、自分を連れ去って欲しいといったことを告白してきたのです。これらはすべて、去年の6月のことでした!・・・彼女の母親は、それを皆知りながら、彼女を他の人に与えたのです!( es sa mère a tout su, et elle la donne à un autre ! … )
この恥ずべき行いを知ったとき、僕が何をしたか、何をしようと思ったかは、訊かないでください。その話はもうやめましょう。僕は生きています。それで十分です。家族みなのためにも、芸術のためにも、生きるつもりです。オレンジ以外の食べ物も、少しずつ摂(と)り始めています。涙は、まだ一滴も流していません。僕の両目は、噴火口のように乾いています。彼女の父と兄は、ベルギーで職を失っていて、破滅状態です。プレイエルは、とても富裕な人なので、モーク家をまるごと養子にしようとしているのです。彼女は、それで、プレイエルの2度目の求婚を受け入れたのです。去年なされた最初の求婚は、僕がいることを理由に断ったのでしたが。彼女は子供で、感情も精神もないコケット[あだっぽい娘、浮気娘]です[ C’est une enfant, coquette sans coeur et sans âme; ]。僕には一言も書いてよこさず、自分の行動が僕に与える打撃を、和らげようともしませんでした。彼女の母親は、5ヶ月以上も前から計略をめぐらせていたおぞましい悪党で、僕に友情の言葉をふんだんに浴びせ、その上、僕を娘婿と呼んで、僕が確実にイタリアに出発するように仕向けたのです。彼女[モーク夫人]は、プレイエルが自分の娘に夢中になっているということを終始確信していて、彼に期待を持たせ続けていたのです。そしてその期待が、現実になったということです。僕さえいなくなれば、娘の僕に対する軽い感情を消滅させることはたやすいことだと、彼女は考えていたのです。すべてが計画どおりに運びました。それだから、彼女の手紙[複数形。ラ・コートで受け取った手紙も含める趣旨であろう。]には、僕に与えた約束のことは、どこにも一言も書いていないのです。まるで従兄弟か甥にでも宛てているかのような、狎れ狎れしい書き方でした。
犯罪にも等しいこんな行為が、罰されもせずにまかり通るのであれば、天にも地にも、正義はありません。お父さんたちがいるのでなかったら、処罰は、行われずにはいなかったでしょう。けれども、僕は今、こうして無事でいます。僕は、生きるつもりです。お父さんたちのすぐ近くまで来ているので、すぐに手紙を書いてください。ニースの局留めにして、1日おきに何通も。

H.ベルリオーズ

昨日は郵便馬車が出なかったので、また書いています。僕は今、すこぶる元気です。昨日は、手紙を書いた後、今までで最悪の発作的な身体の震えが起きました。それが、生と死の、赦(ゆる)しと復讐の、最後の闘いでした。僕は、持ちこたえることができると思います。自分の精神力の強さと矜持の高さを、誇りに思います。けれども、やはりこれは、恐ろしいことです。頭蓋骨までばらばらになって[ベルリオーズは、少年時代、父親から骨学を学んだ。人の頭蓋骨が多数の骨から構成されていることも、熟知していたのであろう。回想録4章。]、他の骨と同じように震えているように感じられました。何か前向きなことで自分自身を忙しくさせることが、どうしても必要です。曖昧な慰めでなく、何より僕の思考と感情に拠り所を与えてくれるような未来を、僕に示してください。
僕はこれまで一度も愛されたことがなかったので、そのことが、この愛情の喪失を(たとえ不確かなものだったにせよ)、特別に苦しいものにしています。お父さん、どうか僕を結婚させてください。お父さんなら、僕より上手にまとめてくださることが出来るかもしれません。誰か僕が愛することができて、僕のことを大切に思ってくれることができる人を、探していただけないでしょうか。お金持ちかどうかとかいったことはどうでもよいので、誰か僕の知っている人を提案してください。
僕は、オディール[ヴィクトル叔父(ベルリオーズ医師の弟)の娘]ならば、大いに愛せるし、彼女の方でも、ごく自然に僕のことを愛してくれるようになるに違いないと思っていますが、僕の将来は確実でないから、叔父さんは、僕を[娘婿に]望んではくれないでしょうね。お父さんはどう思うか、知らせてください。
僕は、ある大掛かりな作品に取り掛かろうとしています。漫然と現実離れしたことを考えていては、いけないのです。何よりも恐れているのは、愛情や幸福の記憶が甦ってくることです。未来を示していただければ、過去を忘れることができます。オディールはたしかに若いですが、問題ありません、待てばよいのです。彼女に手紙を書こうと思います。彼女は、単なる従兄弟とは違うものを僕に見出して、大いに驚くことでしょう。彼女は、2年後には、魅力的な女性になると思います。どうでしょうか[ Voyez. ]
要塞化された小高い丘の上にある、ある老婦人の持ち家に、快適な部屋を借りました。部屋の窓は、海に面しています。同じ建物の間借人仲間に、アルルから来た2人の若者がいます。親切な家主が、今朝、彼らと知り合う機会を作ってくれました。
住所は次のとおりです。:ニース海岸、ポンシェット通り、ナポリ領事、クレリシ館、ピカル未亡人方
アデールとナンシーは、涙など流さず、僕と同じように、毅然としていてください。ニースは、とても爽やかな薄赤色の町で、海も山も、すべて青々としています。僕は、たった62フランでリヨンに行けるほど、お父さんたちのそばにいます。ここでは、誰もがフランス語を話しています。ああ、若く、そして素晴らしい、僕のオーケストラよ!さあ、また会おう。僕らには、ともになすべき、偉大な仕事がある。音楽の新世界がある。その地では、かつてベートーヴェンがコロンブスだった。これからは、僕がコルテスか、ピサロになるだろう。
スポンティーニに手紙を書かねばなりません。彼は、別れ際、僕にそのことを約束させたのですが、僕はまだ、それを実行していないのです。
ピクシスの手紙を待っています。彼は、この成り行きに茫然としているだろうと思います。彼は、僕らの結婚をとても喜んでくれ、僕ら二人を愛していてくれていました。澄んだ心を持った、真っ直ぐで天真爛漫なドイツ人です。
それにしても、なんとあさましい行いでしょう!・・・プレイエルには気の毒ですが、パリでは騒ぎになるでしょう。彼の網は黄金でできていますが、その目は粗すぎて、彼が僕から取り上げた小鳥は、逃げてしまうでしょう。
さあ、さあ、芸術と生は、僕のものです。政治の争いなど、われ関せずです。そんなものには、誰だってあまり関わらずにいるのがよいのです[ Allons, allons, l’art et la vie sont à moi, je me moque des orages politiques, et je voudrais bien qu’on s’en occupât moins. ]
さようなら、お母さん。愛情を込めて抱擁します。(了)[書簡全集219]

訳注/カミーユとプレイエルの結婚
この手紙の最初のパラグラフの「カミーユが、プレイエルと結婚しました!」及び「彼女の母親は、それを皆知りながら、彼女を他の人に与えたのです!」と訳した部分の原文は、本文中に括弧書きで示したとおり、どちらも直説法現在形の動詞を用いて書かれている。
フランス語の動詞の直説法現在形には、「近い過去」を示す場合(完了動詞について)と、「必定の未来」を示す場合(一般に未来の時期を示す状況補語とともに)の双方がある(目黒士門『現代フランス広文典』白水社 2014年 p.253 )が、上記の訳は、そのうちの前者の解釈を採ったものである。
この解釈は、カミーユとプレイエルの結婚が、この手紙の日付(4月21日)よりも2週間余り早い1831年4月5日になされたという事実(出所:ブルーム編『回想録』 p.279, n.2 )に基づいている。これを前提にすると、モーク夫人の問題の手紙は、二人の結婚日前後に発出された可能性が高いと推測され、また、その内容については、二人の結婚が間近であることを予定日を示して伝えるか、又は二人が既に結婚していることを伝えるものであったことが推測されるからである。
なお、当館訳は、当初(2018年公開時)前者の解釈を採用し、それぞれの箇所に、それぞれ、「プレイエルと結婚します」、「彼女を他の人に与えようとしているのです」との訳を当てていた。しかし、その後、上記書籍により二人の結婚日が判明したことから、『回想録』28章の訳文及び訳注の作成・公開に伴い、該当箇所の訳文を本文のとおり改めることとした。(2023/12/5記)

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