手紙セレクション / Selected Letters / 1830年3月3日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年3月3日
フェルディナント・ヒラー宛

親愛なフェルディナント、
今夜もまた、貴君に手紙を書かねばならない。これまでの手紙[複数]に較べ、より幸福そうな手紙には、たぶん、ならないと思う。・・・だが、それはどうでもいい。貴君は、僕に教えてくれることができるだろうか?僕をひどく消耗させている、この感情への能力、この苦悩する力が、いったい何なのかを。貴君の天使[当時ヒラーと交際していたピアニスト、カミーユ・モークのこと]にも、尋ねてみてくれたまえ・・・天国の扉を貴君に開いた、あのセラフィム(熾天使)に!・・・だが、嘆くのはよそう・・・火事( mon feu )は、鎮まりつつある。少し待って欲しい。・・・ああ、友よ、貴君は知っているだろうか?・・・この火を起こすべく、僕は、僕の『散文のエレジー』の手書き原稿を、燃やしたのだ![趣旨不詳。原文:J’ai brûlé, pour l’allumer, le manuscrit de mon Elégie en prose ! ~文字どおり手稿を火にくべたとの意だろうか?それとも、何かの喩えだろうか?]いまなお涙、共感の涙だ。オフィーリアがそれを流すのが、僕には見える。[ des larmes toujours, des larmes sympathiques ; je vois Ophelia en verser, j’entends sa voix tragique,…]悲劇を演じる、彼女の声が聞こえる。気高いその眼差しが、僕を憔悴させる。ああ、友よ、僕は、ひどく不幸なのだろうか?この感情は、言葉に表わせない![ c’est inexprimable ! ]
滴(したたり)り落ちる涙が涸(か)れるのに、長い時間がかかった。・・・それを待つ間に、僕は、見たように感じている。厳しい眼を僕に向けているベートーヴェンを。僕の苦悩に、もうたくさんだ、といいたげな様子をみせている、スポンティーニを。その眼には、寛大さに満ちた、憐憫が顕われていた。そして、住まいとしている至幸の領域で僕を慰撫してくれようと、人なつこい精霊のごとく耳元に囁きかけてくるかに感じられる、ウェーバーを。
こうしたことはみな、カフェ・ド・ラ・レジャンスでドミノに興じている賭博師だとか、学士院会員といった人たちの眼には、ひどくおかしなことに・・・・完全に常軌を逸したことに映るに違いない。・・・だが、そうではなく、僕は、生きたいのだ・・・もっと・・・音楽は、至高の芸術だ。これ以上の高みにあるものは、ただ、真実の愛だけだ。これらの一方は、他方と同じくらい、僕を不幸にするかもしれない。だが、少なくとも僕は、[この二つがあるなら]糧にして生きるだろう・・・それらが確かにもたらす苦悩を。怒りを、叫びを、涙を。だが、僕は、・・・いや、何でもない・・・[ mais j’aurai … rien … ]。親愛なフェルディナント君!貴君に、僕は、真の友情の、あらゆる発露を見出している。貴君に対する僕の友情もまた、とても真実なものだ。だが僕は、大いに危惧している。僕の友情は、火山から離れたところでなら・・・つまり、道理をわきまえたことが・・・およそ何も言えなくなってしまっている、この僕から離れたところでなら、という意味だが、・・・そういうところでならば得られるような、あの穏やかな幸福を、貴君にもたらすことが、決してないのではないか、ということを。「彼女」[la(彼女)が LA と、大文字で書かれている]の姿を最後に見てから、今日で一年だ・・・ああ!不幸な女(ひと)よ!僕はなんと貴女を愛していることか!身震いしながら、僕は書く。貴女を愛す!と。・・・
新たな世界が、もしあるなら、僕らは、また遭うことができるのだろうか?・・・シェークスピアに、僕は、会えるだろうか?彼女は、僕を分かってくれることができるだろうか?・・・
僕の愛の詩情を、理解してくれるだろうか?・・・ああ!ジュリエット、オフィーリア、ベルヴィデラ、ジェーン・ショア![いずれもハリエット・スミッソンが演じた役の名]休みなく地獄がそれらの名を繰り返す・・・[趣旨不詳。原文:noms que l’enfer répète sans cesse …]
つまるところは、だ![Au fait !]
僕はひどく不幸な人間で、世の中でほとんどただ独りの存在で、自分では抱えきれないあるひとつのイマジネーションに圧倒されて、無関心と軽蔑でしか報いられない、無限の愛のとりこになった、ばか者だ。そう、そのとおり!だが、僕は知った。幾人かの音楽の天才たちを。彼らの閃光に照らされて、僕は笑った。そして僕は、ただ追憶に歯がみする![ oui ! mais j’ai connu cetains génies musicaux, j’ai ri à la lueur de leurs éclairs et je grince des dents soulement de souvenir !]
ああ、気高き天才たちよ!僕を滅ぼすがよい!僕を召喚してくれないか、あなた方の黄金色の雲の上に、僕を解放するために![ Oh ! sublimes! exterminez-moi ! appelez-moi sur vos nuages dorés, que je sois délivré ! ]
理性[ LA RAISON. ]
「静まれ、愚か者よ。数年後には、汝を苦悩させるものは、汝の言うところの、ベートーヴェンの天才、スポンティーニの情熱的な感性、ウェーバーの夢想的なイマジネーション、シェークスピアの途方もない力のみとなろう!・・・
ハリエット・スミッソンとエクトル・ベルリオーズは、必ずや、死の忘却のうちに再会しよう。それでも、他の不幸な者たちは、苦悩し、死んでいくことであろう![趣旨不詳。訳は暫定。原文: Va, va, Henriette Smithson et Hector Berlioz seront réunis dans l’oubli de la tombe, ce qui n’empêchera pas d’autres malherureux de souffrir et mourir ! ]・・・(了)[書簡全集156]

訳注/この手紙について
『幻想交響曲』の作曲は、この手紙を書いたすぐ後、着手されたと考えられている。
やや支離滅裂な印象を与えるこの手紙を読むに当たり、名宛人のフェルディナント・ヒラー(1811~1885。ピアニスト、作曲家、指揮者として、後にドイツで大成する人物である。)とベルリオーズの当時の関係について、若干記しておく。
当時18歳のヒラーは、ベルリオーズよりも8つ年下の彼の賞賛者だった。フランクフルトの富裕な家庭の出身で、当時はパリに来て、(ショロンの)教会音楽学校で教えていたという。恵まれた音楽的環境に育ち、幼時から才能を顕わしてきたほか、ベルリオーズをゲーテに紹介するためにゲーテの友人エッカーマンに手紙を書いていることにみられるように、当時すでに各方面に豊富な知己をもっていたようである。ベルリオーズとの関係については、このほか、前年11月のベルリオーズの演奏会でベートーヴェンのピアノ協奏曲5番のパリ初演のソリストを務めたこと、ベートーヴェンはじめベルリオーズが賞賛してやまない大家たちの作品をピアノで演奏してベルリオーズに聴かせ、2人で賞賛を分かち合うセッションをたびたび開いていたことなどが、既出の手紙から分かる(29年3月2日デュボワ宛、同年12月28日ナンシー宛)。
この手紙にも窺われるとおり、ベルリオーズには、ややもすれば、この年下の、育ちの良い心酔者に対し、敢えて(偽りではないが)激しい言動をしてみせ、相手が驚き慌てながらも魅了される様子を、楽しんでいた節がみられる。
なお、2人は、当時、パリで日常的に会っていたので、手紙の行間を埋める、2人の了解事項が、少なからずあったことが推測される。

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