凡例:緑字は訳注
パリ発、1830年2月6日
アンベール・フェラン宛
親愛な友よ、
貴君の手紙と、同封の35フランは、今回は、ちゃんと届いた。マレスコは、いま、パリにいないが、戻り次第、35フランは、彼に渡す。貴君が、歯のことで、どれほど苦しんでいるかを思うと、身震いする。いささかでも慰めになればと思って書くが、僕も、同じような状況だ。どの歯も、少しずつ、虫歯になっている。先月は、地獄の苦しみだった!蒸留酒[ eaux spiritueuses ]も、いくつか試してみた。評判のパラゲ・ルー[売薬の名]は、虫歯のひどい苦痛を、2日間で鎮めてくれた。綿に浸み込ませて歯の穴に詰め、この特効薬を数滴垂らした水でうがいし、口をすすいだ。貴君もこれをこのとおりに試すとよい。だが、僕はどうやら、これとは別に、生そのものに対する特効薬[死のことか]を別とすれば[と解した]、何ものにも癒せない、もうひとつの病気に罹っているようだ[ mais j’ai un autre mal dont rien, à ce qu’il paraît, ne pourra me guérir, qu’un spécifique contre la vie. ]。
僕の『[アイルランド]歌曲集』を結ぶ作品、『エレジー・アン・プロズ( l’Elégie en prose ~散文の哀歌 )』の作曲で、ひとつの心の落ち着きが乱暴に破られた後、僕はまたしても、果てもなく、鎮めることもできない、理由のない情熱に起因する、苦悶の状態に追い込まれてしまっている。彼女[ハリエット・スミッソンのこと]は、まだロンドンにいる。それにもかかわらず、僕は、あたかも彼女がすぐ近くにいるように感じている。すべての記憶が目を覚まし、再び結びついて、僕に激しい苦痛を与えている。自分の心臓の打つ音が聞こえ、その律動が、まるで蒸気機関のピストンの打撃のように、僕を揺さぶる。身体のすべての筋肉が、苦痛に震える。・・・空しい!・・・恐ろしい!・・・
ああ!気の毒な女(ひと)よ!もし、たとえ一瞬でも、この詩情のすべてを、こうした愛の無限性を、理解することができたなら、彼女は、きっと僕の両腕に飛び込んできてくれることだろう。たとえ、僕の抱擁に、命を失うことになろうとも。
僕は、この耐えがたい苦しみ( mon infernale passion )を描いた、大規模な交響曲(ある芸術家の生涯の挿話)を、まさに書き始めようとしていたところだった。それは全部、僕の頭の中にある。だが、何も書けない。・・・待たなければ。
この手紙と同時に、僕の大切な『[アイルランド]歌曲集』が、2部、貴君に届くと思う。ロンドンのイタリア劇場のある演奏家が、ムーアを知っていて、この作品を、彼に届けてくれたところだ。僕ら[ベルリオーズとグネ]は、この作品を、ムーアに献呈した。最近、アドルフ・ヌリが、彼がいつも出ている夜会での演目に、この作品を取り上げてくれた。
いまは、作品の周知が課題になっているが、僕のなすべきことは、もう残っていない。
親愛な友よ、お願いするが、どうか頻繁に、長い手紙を書いてはくれないだろうか。僕は、貴君と離れたところにいる。願わくは、せめて貴君の思考の、僕に届かんことを。貴君に会えずにいることが、僕には、耐えがたい。甘受せねばならないのだろうか、ただ一条の穏やかな星の光が、頭上で不気味に轟(とどろ)く雷をいっぱいに含んだ雲を通り抜け、僕を慰めに来てくれることができないでいることを!・・・
では、これで。9日のうちには、貴君の手紙が貰えるものと期待し、待っている。もし貴君の病状が、それを書くことを許すなら。
貴君の忠実な友より。(了)[書簡全集152]