凡例:緑字は訳注
パリ発、1830年2月19日
ベルリオーズ医師宛
大切なお父さん、
数日前、書籍商から、お父さんが定期購読を解約されたと聞きました。視力の衰えを理由に挙げられているそうですが、そのような不自由をされていることが、本当の理由なのでしょうか?そうでないことを願っています。僕は、ここ数日、お父さんについてのニュースを待っているのですが、それが来ないので、当惑しています。いつもと違う、この沈黙は、誰が原因なのでしょうか。ナンシーの返事が来るはずなのですが、彼女には、これ以上気を揉ませないでくれるよう、懇請したい気持ちです。神経性の不調が続いているのでしょうか。お母さんにもすっかり見捨てられていますが、僕は先週、虫歯による腫(は)れを患い、自室に独りで引きこもっていたので、お母さんの手紙が、大いに必要なところでした。
右の犬歯の中に虫歯ができて、とても痛くなりました。詰めものをして治すには遅すぎたので、抜いてもらったところ、容貌がかなり変わるほど、腫れてしまいました[en la faisant arracher j’étais passablement défiguré]。念のため、特に期待せず、有名な特効薬、パラゲ・ルーを試したところ、ほとんどすぐに、効き目が現れました。痛みは即座に止まり、数日のうちには、虫歯が広がっていたところが取れて、いまはもう、何ともなくなっています。非常にしばしば、僕を苦しめている、熱病のような興奮[ l’ardeur fiévreuse ]にも、こんなふうに鎮めてくれる、特効薬があるとよいのですが、決して見つかりません。これは、生まれつきのものから来ているのです[ cela tient à mon organization ]。その上、僕は、いつも自分を観察する習慣を身に付けているものですから、自分のどのような感覚[ sensation ]も、決して見逃さないのです。そして、内省が、その感覚を、倍にします[ la réflexion la rend double ]。僕は、鏡の中の自分を見るのです。僕は、いかようにも説明しがたい、尋常でない強い感銘[ des impressions extraorninaires ]を、しばしば経験します。たぶん、神経の高ぶりが、その原因だと思いますが、阿片の酩酊に似た感覚です[ cela tien de l’ivresse de l’opium ]。さて、自分でも驚くのは、まったく同じことを、12歳のときにはすでに経験しているということを、とてもよく覚えていることです。僕は、理由のない深い悲しみの感情にいつも包まれて過ごした日々のことを、はっきりと思い出します。僕は、当地で、特に日曜日に、お父さんが僕にウェルギリウスの『アエネーイス』を教えてくれていた頃の、晩課[夕べの祈り]に出ている自分の姿を見るのです。穏やかで単調なその旋律の効果が、たとえば「In exitu Israel(イスラエルはエジプトを出)[旧約聖書『詩編』114。なお、この番号は、新共同訳など、ヘブライ語原典から訳された聖書の場合。ウルガタ聖書と呼ばれる、ラテン語訳聖書では、113の番号が与えられている。)]」といった言葉の効果に助けられ、過ぎ去った昔のことを、非常に強力に僕に語りかけてくるので、僕はほとんど絶望的な苦悩に襲われ、トロイアとラティウムのすべての英雄たちを、僕のイマジネーションが僕の周りに呼び起こし、なかでもあの気の毒なトゥルヌスが、僕を悲嘆に暮れさせるのでした。善良なラティヌス王、すっかり諦めてしまっているラウィニア、そして、イタリアの陽光を反射し、土埃(つちぼこり)の雲を通して輝く武具、我々とは遠く隔たった習俗、それらが全部ひとつになって、聖書のイメージ、エジプトやモーゼの記憶と混ざり合い、名状し難い苦悩の状態に、僕を陥れました。僕はあのとき泣いたのより、もっともっと泣きたかったのです。
さて、この幻想的な世界[ ce monde fantastique ]は、僕の中に、今も保たれています。そしてそれは、僕が人生を重ねるうちに経験して得た、ありとあらゆる新しいイメージが付け加わって成長し、正真正銘の病気になってしまっているのです。
ときどき、この精神の、あるいは、肉体の痛み(どちらなのか、僕には区別がつかないのです)が、ほとんど堪えきれないほどになることがあります。そうなるのは、特に、天気のよい夏の日、テュイルリー宮殿の庭園のような、広い( espacé [他から空間的に離れた、の含意])場所に、独りでいるときです。ああ、その時[に起きることについて]は、たしかにアザイ氏のいうとおりです。自分の中に、激しく作用する、「膨張する力」があることが、容易に信じられるのでした。広い地平と太陽がみえます。僕は本当にとても苦しくなり、自分を抑えていなければ、叫び出し、地面を転がり出していたと思うほどです。このような「感情への渇望」を、完全に満足させる方法は、一つしか、見つかっていません。それが音楽です。それがなければ、僕は生き続けることができません。これは確かなことです。まず何より、偉大な「[因習や偏見を免れた]自由な天才たち」[ les compositions des grands génies libres ]の作品が、計り知れないほどのエネルギーをもって、僕に命を与えてくれることが、時々あります。次に、僕の作品が、そうしてくれます[ puis les miennes. ]。それは本当に、奇跡的なことです。効果を期待していた作品が拙く演奏され、ひどくがっかりさせられることも、ときには、あります。けれども、反対に、それが見事に演奏されたときには、芸術家の詩的な思考を先回りして受け止めた[僕の]イマジネーションが、その音楽が期待以上に美しく優れたものであることに気付き、僕の性質に最も似つかわしい激しい歓喜に、陶然とするのです。[ Et vraiment cela tient du prodige; quelquefois une musique dont j’attends l’effet, exécutée faiblement, me fait un mal affreux, mais si, au contraire, elle l’est grandment, alors l’imagination qui s’était portée au-devant de la pensée poétique de l’aritiste, la trouvant plus belle et plus forte qu’elle n’espérait, s’enivre d’un plaisir violent qui est tout ce qui convient le plus à ma nature. ]けれども、ここまでにしておきます。この手紙は、あるいは、折の悪いときに届いているかもしれません。ですから、ここで口をつぐむことにします。
大切なお父さん、昨晩、とても見事な成功を収めたことについて、ご報告します。アテネ・ミュジカルで、たいへん多くの聴衆を前に、僕の歌曲集から、2曲が演奏されたのです。一つは大規模コーラス付きの作品、もう一つはピアノ伴奏の独唱曲でした。僕のより先に演奏された作品を、どれもたいそう無関心な態度で聴いていた人たちが、僕の作品の番になると、いっせいに耳をそばだてるのを見たときは、嬉しい気持ちになりました。「しーっ」という長い声が、ホール内のすべての人々に、静粛を求めました。僕の名が方々で囁かれるのがきこえ、僕の作品に、期待が集まっていることが分かりました。要は、僕に好意的なムードが予め作られた訳です。演奏された2つの作品(『夢想( La Rêverie )』と『聖歌( Chant sacré )』)は、静かで、哀愁を帯びたジャンルのもので、それゆえ、群衆を沸き立たせるような性質の音楽ではなかったのですが、にもかかわらず、何度も満場の喝采で迎えられました。アテネの役員の人たちからは、次回の演奏会では他の作品も聴きたいとの求めがすぐにありましたし、大勢の観客が、僕を祝福しに舞台に来てくれたりもしました。つまり、僕は昨晩、大いに面目を施した訳です。新聞や雑誌が、僕の音楽の斬新さについて大いに書いたものですから、今では、僕が音符を6つも書けば、それだけで何らかの斬新さが見出されるのが、相場になってしまっているほどです。ですから、『聖歌』の場合、この作品に何か美点があるとすれば、それは他の何にもまして、感情表出(エクスプレシオン)と崇高さ(グランドゥール)とにあるのですが、人は、この作品は既知のいかなるものにも似ていないとか、まったく新しいものだ、などと言っています。これほど真実でない批評もないものだと思いますが、とはいえ、善良な聴衆の人たちには、とにかく言いたいように言ってもらうほかありません!・・・僕には、大いに評判になるための条件のすべてが、備わりつつあります。つまり、僕を熱烈に支持してくれている人たちと、猛(たけ)り狂う反対派の人たちです。後者の人々の議論は、せいぜい、僕のことを、半ば気がふれているとか、頭がおかしくなっているなどと言ったり、あるいは、建設ではなく、破壊を旨とする、悪しき天才と言ったり、といったところですが、要は、僕の革新(イノヴァシオン)に、我を忘れて怒っているのです。それにもかかわらず、昨夜は、僕の瞑想的な旋律で、ある筋金入りの古典主義者の心をとらえることに成功するという、嬉しい出来事がありました。『ユニヴェルセル』誌に連載記事を書いていて、優しい音楽だけを好む、ミール氏が、僕のところに来て、『[アイルランド9]歌曲集』の楽譜の提供を求めることで、彼が完全に満足した証しを示してくれたのです。きっと、記事で、僕の歌集を取り上げるつもりなのだと思います。
演奏会の前日、僕は、アテネ・ミュジカルの事務局で、大いに物議をかもしてしまいました[ J’ai causé le jour d’avant le concert à l’administration de l’Athénée un grand scandale; ]。それというのも、劇場の監督が、如才なくも、プログラムにこう記していたからです。「学士院懸賞受賞者、ベルリオーズ氏」。この校正刷りをみるや、僕は、激しい怒りの衝動を抑えられなくなり、よく知られたその肩書を、削除するよう、彼らに求めたのです。「ですが、ベルリオーズさん、これは別に不名誉なものではないではありませんか」――「申し訳ありませんが、この演目に、学士院は、関係ないのです。この件を私がどう思っているか、お話しすることはできませんが。」結局、この文言は削除され、アテネの職員たちを大いに驚かせました。
今日はアデールに手紙を書くはずだったのですが、忘れてしまいました。ですから、彼女には、また次の機会に書くことを約束することにします。
さようなら、大切なお父さん。できるだけ早く、近況を知らせてください。
愛する息子より。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集155]