凡例:緑字は訳注
パリ発、1830年1月30日
ナンシー・ベルリオーズ宛
僕の大切なナンシー、先日くれた手紙に、もっと早く返事を書くべきだった。君に話したいことがたくさんあったのだが、忘れてしまった。だから、それらについては勘弁してあげよう。僕は、この冬じゅう、非常に忙しい日々を過ごしている。いつも何かで手がふさがっている。特に、ここ数日は、ほとんど息つく暇もない。3か月半後にヌヴォテ劇場で、大きな演奏会を開く計画を決めたばかりなのだ。主の昇天の祭日は、劇場はみな閉まってしまうから、僕の計画の実現に必要な、大幅な行動の自由が手に入る。ヌヴォテ劇場は、演奏組織を整えたばかりだ。優れた才能をもち僕を熱心に支持してくれる指揮者に率いられた、見事なオーケストラが、自由に使える。あとはただ、それを倍に増強すればいい。僕の意図どおりの演奏会にするため、新しい作品をたくさん用意する。なかでも、その一つ、新しいジャンルの大規模な器楽曲[やがて『幻想交響曲』となるべき作品のこと]は、僕がそれで聴衆を大いに印象づけようとしている作品だ。だが、あいにく、この作品は非常に大規模なのだ。それで、主の昇天の祭日、つまり5月23日までには、出来上がらないのではないかと懸念している。他方、作曲に夢中になるあまり、疲れきってしまうおそれもある。僕はもう長いあいだ、この作品の骨格を頭の中に持っているのだが、それに各構成部分を繋ぎ合わせ、全体をきちんと秩序だてるには、たいそう根気が要るのだ。結局、いずれにせよ、やるしかないし、やれば分かる、ということだ [ Enfin il faut toujours aller ; nous verrons bien. ] 。
ああナンシー、作曲家が、自分の意思だけに直接導かれ、思いのままに書くときに感じる喜びは、君には、想像がつかないだろう。僕のスコアの五線譜の段をつなぐ最初のブレース(accolade[括弧])を引き、僕の[軍勢の]様々な階級[軍隊の用語を比喩に用いたもの]の楽器たちが戦闘配置に着くと、僕は、学問上の先入主がこれまで手つかずにしてきた、音楽の処女地[ ce champ d’accords que les préjugés scolastiques ont conservé vierge jusqu’à présent ]で、僕が解放すれば、あとは僕の領地になると考えている場所のことを思う。その地を蹂躙すべく、僕は、一種の憤怒をもって、突進する。ときには、僕の兵士[楽器のこと]たちに、言葉をかける。「がさつ者のそこの君、君は今まで、ばかなことしか言えずにきたが、ここへ来たまえ。僕が、話し方を教えてあげよう。優美でいたずら好きな音楽の妖精たち、君たちは、仕来(しきた)り(ルーティヌ)によって、博学な理論家の人たちの埃だらけの飾り棚に仕舞い込まれていたが、ここへ来て、踊っておくれ、そして、君たちには、音響学の実験よりもよいことができるのだということを、示しておくれ。」「そして何よりも」と、僕は僕の軍勢に言う。「衛兵隊の歌や、兵舎の習慣は、忘れ去ることだ。・・・」
ムーアの詩による僕の歌曲集が、この3日のうちに出る。女声のための曲は少ししかないし、君にはピアノがないし、いくつかの曲は合唱付きだけれども、欲しかったら送るので、言ってくれたまえ。
何人ものパリの有名な歌手たちが、最近、音楽の夜会で歌うため、この曲集の作品をレパートリーに取り入れた。君の忍耐力が鍛えられることになるだろうが、数あるうちには、まずまず初見で歌えるものが、優に1つや2つ、あると思う。
お父さんのお使いは、すべて細心の注意を払って正確に処理している。この前の荷箱の到着が遅かったとしても、間違いなく、僕の落ち度ではなかった。書籍商が「発送は済みました。荷物は輸送中です。」と僕に言った以上、何ができるだろうか?僕としてはそれを信じるほかない。今回の荷箱は、3日前に出た。先週やっと手に入ったセー氏の本も、そこに入れておいた。
アナトールの遺言のことは、君たちも、聞いているに違いない。彼は、甥たちから相続財産を奪うために、ゲルノン・ド・ランヴィル氏の義理の息子たちとグルノーブルの2人の法律家に、財産をすべて与えてしまった。恨みとは、何と醜悪なものだろう!自殺する前にしていた彼の結構な誓いは、そういうわけで、すべて偽りだったのだ。・・・
さようなら。アデールを僕のために抱擁してやってください。そして、近いうちに、長い手紙を書くと、伝えてやってください。
愛する兄、
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集151]