手紙セレクション / Selected Letters / 1829年6月15日(25歳)

凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注

パリ発、1829年6月15日
アンベール・フェラン宛

そうなのだ、親愛な友よ、紛れもなく、僕は貴君の手紙を、6月11日まで、受け取っていなかった。貴君のほかの手紙[複数]がいったいどうなったのか、僕には、見当もつかない。あるいは貴君なら突き止められるかもしれないが、それも疑わしいと僕は思う。
『ジュルナル・ド・ジュネーヴ』紙に、[僕についての]記事を載せてもらうことは、もし貴君がそうできるのなら、僕にはとても嬉しいことだ。くれぐれもお願いするが、僕の作品(『ファウスト』)を論じる際、友情に駆られてそうすることはしないでくれたまえ。冷静な読者にとって、彼らが共有しない、そうした熱情( enthousiasme )ほど、奇妙に映るものはないからだ。記事の概略についての貴君の依頼に関しては、何と言うべきか、僕には分からない。すでに出ている『ラ・ルヴュ・ミュジカル』誌の記事を参考に、各作品を個別に論じることもできるだろうし、それがその新聞のスタイルに合わないようなら、冒頭の合唱曲[第1曲『復活祭の歌』]、『シルフ(空気の精)[複数]のコンサート』[第3曲]、『トゥーレの王』[第6曲]、『[メフィストフェレスの]セレナード』[第8曲]、とりわけ『ラ・ルヴュ』誌が言及しなかった『シルフのコンサート』の2重オーケストラ、それから旋律のスタイルに関する若干の考察と貴君が最も強く感じ取ったこの作品の新機軸といったことついて、『ラ・ルヴュ』誌以上に強調することもできるだろう。
他の新聞、雑誌には、僕は何も知らせていないが、その理由は、ゲーテの返事を、毎日、待っているからだ。彼が返事を書くだろうとの報せは来たのだが、それが来ないのだ。ええい、まったく!僕はどれほど、その手紙を待ち焦がれていることか!僕は、この2日間は、少しばかり加減が良い。だが、先週は、ひどい神経衰弱に罹っていて、歩くことも、朝、服を身に付けることも、ほとんどできないほどだった。入浴[原語:des bains。療法か?]を勧められたが、全然、効かなかった。安静にしていることで、若さが戻ってきた。僕は、無理なことに慣れることはできない[の意か?原文:Je ne puis me faire à l’impossible.]。まさにそれができないから、これほど不活発にしているのだ[原文:C’est précisément parce que c’est impossible que je suis si peu vivant.先行の1文とともに文意不詳。]
それなのに、僕は、絶え間なく何かをしていなければならない。いまは、『ル・コレスポンダン』誌のために、ベートーヴェンの生涯の記事を書いている。作曲する時間が、まったく見つからない。あとの時間は、パート譜の筆写をしなければならないのだ。
なんという生活だ!(了)[書簡全集128]

訳注/ゲーテへの手紙
ベルリオーズは、全ヨーロッパに令名並ぶもののないドイツの文人、ゲーテ(当時79歳)に、自己の作品(『ファウストの8つの情景』全集CD7(10-17))の総譜を送るに当たり、友人の若いドイツ人、フェルディナント・ヒラーの支援を受けた。
ヒラーは、ゲーテの友人で秘書役も務めていたエッカーマンに手紙を書き、べルリオーズの手紙(1829年4月10日付)と総譜の到着を、事前に知らせようとした。これに対し、エッカーマンは、総譜はすでに届いており、ゲーテは大いに興味をそそられ、手紙にも好感をもっているから、必ず返事を書くだろうとの返書を、ヒラーに送っている。
一方、ゲーテは、ベルリオーズ から届いた総譜を、友人の音楽家、カール・フリードリヒ・ツェルター(作曲家、指揮者。メンデルスゾーンの師。当時70歳。)に送り、評価を依頼した。
これに対するツェルターの返書(1829年6月21日付)は、次のようなものだった(※)。
「・・・世の中には、自己の存在や関わりを、騒々しく咳払いしたり、鼻を鳴らしたり、奇妙な声を出したり、唾を吐き出したりすることでしか、示せない人たちがいます。エクトル・ベルリオーズ氏は、その手合いの一人と見受けられます。
メフィストフェレスの硫黄の臭いが、ベルリオーズ氏をひき寄せ、氏にくしゃみをさせたり、鼻を鳴らさせたりしています。そのせいで、オーケストラのすべての楽器が、勢いづき、勇み立っていますが、ファウストの周辺だけは、静まり返っています[の意か]。ともあれ、お送りくださったことに御礼を申し上げます。忌まわしい近親相姦から生じた出来損ないのようなこの作品を、講義の教材として使う機会があるのです。」

ゲーテは、べルリオーズに返事を書かなかった。

※/原文(ドイツ語)次のとおり。
Gewisse Leute können ihre Geistesgegenwart und ihren Antheil nur durch lautes Husen, Schnauben, Krächzen und Ausspeyen zu verstehn geben : von diesen Einer scheint Herr Hector Berlioz zu sein.
Der Schwefelgeruch des Mephisto zieht ihn an, nun mus er niesen und prusten dass sich alle Instrumente im Orchester regen und sputen – nur am Faust rührt sich kein Haar. Übrigens habe Dank für die Sendung ; es findet sich wohl Gelegenheit bei einem Vortrage Gebrauch zu machen von einem Abscess, einer Abgeburt, welche aus gräulichen lncest entsteht.

~ケアンズ1部19章、同21章、新ベルリオーズ全集5巻の編者・ジュリアン・ラシュトンによる『序言』、マクドナルド1章、書簡全集122注を参照して作成。ツェルターの手紙の原文は、Briefwechsel zwischen Goethe und Zelter in den Jahren 1796 bis 1832, Herausgegeben von Dr. Friedrich Wililhelm Riemer, Berlin, 1834 によった。

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