手紙セレクション / Selected Letters / 1828年8月20日(24歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1928年8月20日
内務大臣ド・マルティニャック伯爵宛

閣下、
私は24歳で、ラ・コート・サンタンドレ(イゼール県)の名誉ある、しかし、子だくさんな家庭の出身者です。
私は、大いに精進した結果、既に今般、学士院の作曲コンクール2等賞という、もっとも栄誉ある方々の賛同による、励ましを得たところです。
ところが、父が、多大の出費に力尽き、これ以上私をパリに滞在させることが出来なくなってしまったのです。私はいま、志半ばで進路を断たれ、将来へのあらゆる希望を失おうとしています。
私と同じように学士院から2等賞を授与された芸術学校の学生たちが、幾人も、褒賞として、あるいは学業完遂の支援策として、ローマ派遣という特別待遇を、政府から得ています。
閣下の見識あるご厚情を賜ることを、私が願い出たく思っていますのは、ここまで大きな特別待遇ではなく、少なくともパリで音楽の勉強を修了することを可能にしてくれ、次期コンクールで1等賞を得ることについて希望を持たせてくれるような、年次奨学金の支給です。
私は、自分がいつか、閣下のご支援の正しさを証明できるだろうということを、厚かましくも、確信しています。

敬具

シュヴァリエ章佩用(はいよう)者、ル・シュウール氏(王立音楽学校)門下
エクトル・ベルリオーズ

[以下、ル・シュウールの添え書き]
ベルリオーズ氏の願い出が、最も輝かしい将来性に裏打ちされたものであることを、閣下に保証申し上げることを、光栄に存じます。その将来性は、ただ育ててやりさえすれば、それが本来備えている力をすべて発揮するであろう、彼の非常に優れた才能によるものです。この若者は、他のすべての学問分野についても、深い知識を有しており、責任をもって申し上げますが、必ずや、フランスに誉れをもたらす、偉大な作曲家になるでしょう。敢えて予想しますが、彼は、今後10年以内に、正真正銘の1楽派の始祖となれるでしょう。しかしながら、彼は、音楽の勉強を修了する(それにはあと1年ないし1年半の期間が必要です)ための学資について、支援を必要としています。ベルリオーズ氏は、音楽のために生まれてきた人です。自然は、傑出した才能を持つ作曲家となり、この技芸[音楽]における語り手となるべき人物として、他の多くの者の中から、彼を選んだものと思われます。しかし、もし彼が、芸術・文学の擁護者であり、優れた見識をお持ちの貴職から庇護を受けることができないとなれば、彼は、その才能を活かすことができずに終わってしまうでしょう。他方、幸いにして、フランスのマエケナス[古代ローマの政治家。アウグストゥス帝の親友。ウェルギリウス、ホラティウスら、文人を庇護した。]たる方のご厚情とご支援を得ることができるならば、彼は、その貴重な庇護の正しさを、必ずや証明するでしょうし、「私に職業の道を開いてくれたのは、ド・マルティニャック伯爵だ」ということを、生涯の誇りとし、そのことを語り続けることでしょう。

ル・シュウール
学士院会員、王室礼拝堂音楽監督
サン・ミシェル国王勲章及びレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ
王立音楽学校作曲科教授(了)

訳注/この陳情は、実を結ばなかった。

次の手紙 年別目次 リスト1