手紙セレクション / Selected Letters / 1828年6月28日(24歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1828年6月28日
アンベール・フェラン宛

ああ、友よ、貴君の手紙を、僕はどれほど待ち焦がれていたことか!僕の手紙が貴君に届いたかどうか、心配になっていたところだった。
木霊(こだま)は、無事、返って来た・・・
そう、僕らは、互いに完全に理解し合っている。僕らは、物事の感じ方が、同じだ。つまり、生きているということには、歓びが全くなくもないということだ。とはいえ、僕は、もう9か月もの間、喜びを奪われ、幻滅させられ、ただ音楽だけを支えにする日々を過ごしている。貴君の友情もまた、僕を繋ぎとめてくれ、しかも、その結び目が、日ごとに強さを増している、絆のひとつだ。他の絆が、次々と断ち切られてしまっている中にあってもね(思い違いをさせてしまうだろうから、憶測はしないでいてくれたまえ)。僕は、ひと月半後にラ・コートに帰省し、暫く滞在できるよう、全力を尽くすつもりだ。出発日が決まり次第、貴君に知らせ、僕の実家で会う約束をしたい。
『秘密裁判官』第1幕、第3幕[のオペラ座での上演に向けた改訂版]が貴君から届くのを、心待ちにしている。貴君に[『荘厳ミサ曲』の][キリストの]復活[と再臨]』の総譜の写しと『歌曲』の写しを送ることを、名誉にかけて、約束する。なるべく早い時期に筆写に出し、出来上がり次第、発送するつもりだ。
[『秘密裁判官』序曲のラルゴのオーケストレーションを示した譜例~略]
貴君が話題にしたスピーチは、貴君も知る、貴君の評価に相応しい音楽家、テュルブリイによるものだ。貴君はデュボワに会う機会が必ずあるだろうから、彼の昔の音楽の先生、パストと僕がした、一昨日の会話のことを、ぜひ話しておかねればならない。この人と出会ったのは、リシュリュー通りだったが、会うや否や、こちらが挨拶する間もないうちのことだった。
「やあ、やあ!ここで会えてよかった!」と、彼は僕に言った。「貴方の演奏会を聴きましたが、いやはやまったく、貴方は、音楽のバイロンですな!貴方の序曲、『秘密裁判官』は、音楽の『チャイルド・ハロルド』ですよ!その上、貴方は、ハーモニストだときた!・・・いやもう、実にですな、先日、ある晩餐会で、貴方のことが話題になったのですがね。ある若者が、貴方を知っているが、好青年だと、そう言う訳です。『まあとにかく、好青年だろうが何だろうがですな』(Eh ! je me f… bien que ce soit un bon garçon)と、私は言ってやったのですよ。『あんな音楽を作る人間は、悪魔に違いありませんよ、私にはそうとしか思えませんな!』とね。実際、私は、思いも寄らなかったのですよ、先日、我々皆が、大声を上げ、足を踏み鳴らして、ベートーヴェンに喝采した、そのわずかひと月後にですな、同じホールの同じ場所で、まさか貴方が、それに匹敵する衝撃を与えてくれようとはね。では、これで。貴方とお近づきになれて、幸甚です。」
貴君は想像しただろうか?こんなおかしな人があろうことを。
しばらく前、僕はたまたま若い方のトルベック(3人のうちの洒落た方)と食事をした。彼は、以前、僕の演奏会の計画を耳にしたとき、そんな催しは自己中心主義の極みで、退屈で眠くなること疑いなし、と思ったそうだ。ところが、だ。彼は、それにもかかわらず僕の序曲を演奏しにやって来た。そして、最初にそれを演奏した途端、あまりに動揺させられてしまったので、「死んだように蒼白になって、喝采する力も失くしてしまった」そうだ。「臓腑を引きちぎるようなその効果は、本当に強烈だった」と話していた。
これらのことは、あの取るに足らぬ道化のような人間たちを従わせる手間を、大いに軽くしてくれる[の意か。原文:Cela soulage singulièrement, de courber sous le joug ces petits farceurs.]
いま、進行中の案件が色々あるが、どれも確実なものではない。フェドー劇場向けのオペラが二つ、オペラ座向けが一つ、調整中で、さらに、僕はこれから、イギリスの悲劇『ウィルジニウス』をイタリア語のオペラにする件に関し、英国劇場とイタリア劇場の監督、ロランに会いに行くところだ。何か確実な案件が得られ次第、貴君に知らせるつもりだ。
友よ、さようなら、貴君を心から抱擁します。
貴君の生涯の友。

8時間後、6月28日。
僕はいま、ロランのところではなく、パリから4リュー[1リューは約4キロメートル]ばかり離れた、ヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュから帰って来たところだ。家からそこまで、駆け足で、独り出かけたのだ!・・・筋肉という筋肉が、死にかけた人のそれのように、震えている!・・・ああ、友よ、僕に何か作品を送ってくれたまえ、僕が齧(かじ)れるように、骨をひとつ、投げ与えてくれたまえ・・・田舎の風景の、何と美しかったことか!・・・その光の、何と豊かだったことか!・・・帰途、目にした、生きとし生けるものの、何と幸福そうだったことか!・・・木々は優しくそよぎ、広大な野原にただ独り、僕は居た・・・空間・・・距離・・・忘却・・・痛み・・・憤怒といったものが、僕を取り巻いていた。どんなに努力しても、人生は、僕から逃げていく。手許に残るのは、ただその切れ端ばかりだ。
僕の年齢、僕の造り。それらをもって、胸を切り裂くような、痛みだけを感じること。その上、家族の迫害が、また始まろうとしている。父は、もうこれ以上、一銭も仕送りをしてくれない。父のその決意は固いと、妹が今日、書いてきた。・・・お金・・・いつだってお金だ!・・・そう、お金は幸福をもたらす。お金がたくさんあれば、僕も幸福になれるのかもしれない。死は、幸福ではないし、それとは断じて異なるものだ。
生の前にもなく、間にもなければ・・・後にもないというのか?[文意不詳。幸福の在り処のことか?]
それなら、一体いつ?
いつでもない。
仮借なき窮迫よ(Inflexible nécessité)!・・・
それでも、血は巡(めぐ)る。僕の心臓は、まるで欣喜雀躍するかのように、鼓動している。
実のところ、僕はいま、ひどく元気いっぱいなのだ。歓喜で、ええい、くそっ、歓喜で!

日曜の朝。
親愛な友よ、僕の心の、この不幸な錯乱のことだが、心配は無用だ。危機は去った。その原因については、手紙では説明したくない。手紙は、どこかへ迷い込んでしまうことがあるからね。ぜひとも言っておくが、僕の状態のことは、誰にも、一言も、言わないでおいてくれたまえ。言葉というものは、とても伝わりやすいものだから、父の耳にも入りかねず、そうなれば、父は、すっかり心の安らぎを失ってしまうだろうからね。片や、僕に安らぎを取り戻させてくれることは、誰にもできはしない。僕に出来ることは、苦痛に耐えながら、時を待つことだけだ。時は、多くの物事を変えてくれるし、僕の運命だって、変えることができる。
くれぐれも、気を付けてくれたまえ。デュボワにも、何も言わないようにしてくれたまえ。デュボワは、カジミール・フォールに話す可能性があり、そうなれば、父の耳にも入ってしまうからね。
昨日の恐るべき遠出は、僕の身体をぼろぼろにした。関節という関節が痛くて、動くことすら、ままならない。それでも、また一日中、歩き回らねばならない。
さようなら、友よ。
貴君を抱擁します。(了)

次の手紙 年別目次 リスト1