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シトロン編『回想録』( p.160, n.2 )は、この句の訳語に、仏語表現「courage !」(「がんばれ、しっかりしろ」〜小学館ロベール仏和大辞典)を当てている。他方、ケアンズの英訳、ニューマン他の英訳は、ラテン語原句をそのまま用い、意味の説明はしていない。また、丹治訳『回想録』は、ラテン語原句を用いつつ、「汝の元気において称賛をうけよ」との説明を括弧書きで付している。
これらに対し、ブルーム訳『回想録』(p.289,n.2)は、仏語「bon courage !」(「しっかりやれ」〜小学館ロベール仏和大辞典)を訳語に当てつつ、要旨次のとおりの補足説明を行っている。
① この句はスタティウスの叙事詩『テーバイ物語』(7巻280行)に用例がある。
② 他方、ベルリオーズも、この言葉の語り手とされる芸術アカデミー終身書記カトルメ-ル・ド・カンシーも、ヴォルテールが好んだウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』の詩行の改変版、「macte animo, generose puer, sic itur ad aster」をよく知っていたはずである。
③ その『アエネーイス』の原詩行は、「macte nova virtute, puer, sic itur ad astra」(9巻641行)である。
さて、『アエネーイス』の上記詩行の岡道男・高橋宏幸による訳は、「あっぱれだ、新たな武勇を身に享(う)けた子よ。これが星へと至る道だ。」である(京都大学学術出版会『アエネーイス』p.431)。そしてこれは、アスカニウス(トロイア再興の使命を帯びてイタリアに渡った英雄エネアスの子。すなわち、やがてローマの覇者たる地位をエネアスから受け継ぐ運命を負った若者である。)のイタリアの地での初陣に当たり、アポロ神がその武勇を讃え、彼にかけた言葉である。
以上を基に、当館では、本文に記した二つの訳語の候補を選んだ。一つはシトロン、ブルームの仏訳(の仏和辞書訳)に拠ったものであり、いま一つは、ヴォルテールの言葉「macte animo」の背景をなす、ローマの建国を謳う叙事詩『アエネーイス』において、アポロ神がやがてローマの治者となるべき若者にかけた賞賛と励ましの言葉を念頭に置いたものである。そして、当館訳者としては、二つの候補のうちでは、ベルリオーズが、少年時代から『アエネーイス』に通暁し、終生その情熱に満ちた壮大な世界に傾倒していたことからも、また、この言葉の、やがてフランスの栄光を担うべき若き芸術家に、芸術アカデミー終身書記がいわばフランス芸術界を代表して語りかける言葉としての似つかわしさの点からも、後者を選択することに、より大きな魅力を感じる次第である。
(参考)
「macte animo」解釈のためのラテン語基礎データとその考察
データの出所:研究社『羅和辞典』。ただし、記事中、【】内の記載は、当館訳者の観察、分析した事項であり、したがって、誤りを含んでいる可能性がある。なお、そこに示したラテン語の活用の分析は、米タフツ大学のウェブサイトPerseus Digital LibraryのWord Study Toolを用いて行った。
macte 間投詞(【形容詞mactusの】単数、呼格) (祝福・賞賛を表わす)
(神に対して) macte vino esto ぶどう酒でたたえられよ
(人に対して) macte virtute esto 汝の勇気に栄(は)えあれ、よくやった、でかした
【観察:vino、virtuteは、いずれも奪格で、それぞれ、「ぶどう酒で」、「勇気が原因で」(原因の奪格〜『古典ラテン語文典』p.221)の意。estoはsum(英語の動詞beに相当)の命令形で、「〜であれ」の意。】
mactus 形容詞 讃えられた、賞賛[賛美]された。
【観察:ラテン語の形容詞はそのまま名詞になることがあり(『楽しいラテン語』p.28)、そのような場合、この語は、「讃えられた者(物)」、「賞賛された者(物)」を意味することになる。】
animo 【観察:名詞animus の単数・奪格(又は単数・与格)】
animus ① (肉体に対する)精神、② 心、③ 性質、気質、④ (しばしば複数)勇気、大胆、⑤ 高慢、尊大、⑥ 意志、⑦ 思考力、知性、⑧ 判断、⑨ 記憶、⑩ 意識
【以上を基に、animoを名詞animus(④ 勇気)の奪格と解すれば、その意味は「勇気が原因で」となる。また、macteは、mactus(「讃えられた者」)の呼格(「〜よ」)であるから、macte animoは、「勇気のゆえに讃えられた者よ」との意であることになる。】