手紙セレクション / Selected Letters / 1828年6月6日 (24歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1828年6月6日
アンベール・フェラン宛

親愛なる友よ、
貴君はたぶん、僕の演奏会の結果の報せを心待ちにしてくれていると思う。もっと早く手紙を書かなかったのは、新聞や雑誌の評価が出るのを待っていたからだ。まだ入手していない『ルヴュ・ミュジカル』と『コティディエヌ』は別にして、僕のことを書いた記事は全部、この手紙と同じ頃、そちらに届くだろう。
まさに大成功だった!それは、聴衆に驚きを、音楽家たちに熱狂を引き起こした、成功だった。
金曜日と土曜日の総稽古で、すでにたいへんな拍手喝采を受けていたから、僕は、僕の音楽が、お金を払って聴きに来る人々に対してもたらす効果に、少しも不安を感じなかった。『ウェイヴァリー』序曲は、貴君の知らない作品だが、演奏会のオープニングの役割を、考え得る最良のやり方で、果たしてくれた。何しろ、万雷の拍手を、三度も浴びたのだから。次が、僕らの大事な作品、『メロディ・パストラル(牧人の歌)』だった。この作品については、独唱歌手たちの歌い方も不当だったし、最後のコーラスに至っては、まったく歌われなかった。合唱隊員たちは、自分達で休符を数えないで、指揮者の合図を待っていたが、指揮者がその合図を出さなかったのだ。彼らは、作品がまさに終わろうとするまで、自分たちが入りそこなったことに気付かなかった。この作品は、本来持っている効果の、4分の1も上げることができなかった。
『東方3博士の敬虔な歩み』も、貴君の知らない作品だが、大いに喝采された。だが、次に、僕の『荘厳ミサ曲』の『レスルレクシト(復活[と再臨])』の番が来た。演奏したのは、僕が後で加筆した、貴君がまだ聴いていない版で、今回初めて、女声14、男声13によって歌われた。そして、王立音楽学校のホールで初めて、オーケストラの団員たちが、最後の和音が鳴りやんだとたんに楽器を置き、聴衆よりもさらに盛大な拍手喝采をしたのだった。チェロやコントラバスを弓で打つ音が霰(あられ)の音のように鳴っていた。男声、女声の合唱隊員たちもみな喝采した。喝采は、ひとつが収まると、また新たに始まった。たくさんの叫び声、足踏みの音が響いた!・・・
僕は、最後には、オーケストラの自分の居場所に立っていられなくなり、ティンパニ席で倒れると、泣き出してしまった。
ああ、友よ、あのとき貴君が会場にいてくれたら!貴君があれほどの熱意をもって、狭量な考えや浅薄な意見の持ち主たちから擁護せんとしていた、その大義がまさに勝利するのを、目の当たりにしてもらえただろう。実を言えば、僕は、非常に激しい感情に襲われながら、貴君のことを考えていた。そして、貴君の不在を、嘆かずにいられなかった。
第2部は、『秘密裁判官(Franc Juges)』序曲で始まった。この作品の最初のリハーサルの際に起きたことも、貴君に話しておかねばならない。オーケストラが、第3幕のオルメリックの科白を貴君がそれに書いた、トランペットとオフィクレイドのあの凄まじいソロを聴くや否やのことだった。[譜例~略]ヴァイオリン奏者の1人が演奏をやめて、こう叫んだのだ。
「ああ!ああ!虹があなたのヴァイオリンの弓、風がパイプオルガンを弾き、時が拍(はく)を刻む。」
これを聴くや、オーケストラ全体が沸きたち、彼ら自身意味が分かっているかどうかも定かでないその意見に、歓呼をもって賛同の意を表した。彼らは、拍手喝采するため、演奏を途中でやめてしまった。この導入部は、演奏会当日も、筆舌に尽くしがたい、茫然自失の効果をもたらした。僕はティンパニ奏者の横に陣取っていたのだが、彼は、我慢できなくなって、僕の腕を力いっぱいつかんで押さえつけ、引きつけを起こしたかのように、途切れ途切れに、こう叫んでいた。
「こいつぁ見事だ!・・・なあ君、実に素晴らしい!・・・いや、もの凄い!まったくもって、頭がおかしくなりそうだ!・・・」
僕は、もう一方の腕で自分の髪の房を摑んで、猛烈に引っ張っていた。自分の作品であることを忘れて、叫び出したかった。
「そうだ、途方もない!桁外れだ!驚異的だ!」
最後は、貴君も知る、僕らの『ギリシア革命:英雄の情景』の「世界中が・・・」の件(くだり)だったが、これは、このもの凄いパッセージの本来の効果の、半分も上げることができなかった。実のところ、演奏が、ひどく拙(つたな)かったのだ。指揮者のブロックが、「オリンポスの頂から・・・」の出だしで、テンポを間違えた。彼は、オーケストラを本来のテンポに戻そうとして、ヴァイオリンを一時(いっとき)混乱させた。そのせいで、あやうくすべてがぶち壊しになるところだった。だが、それにもかかわらず、この作品の効果は、貴君の想像どおり、というよりも、たぶん想像以上に、見事なものだった。例のギリシャ外援軍の急速なマーチと、「彼らは進軍する!」の叫びは、驚くべき劇的効果を上げた。貴君も知るとおり、僕は、貴君には、何でも気兼ねなく話している。だから、自分の音楽についても、思っていることを率直に書いているのだ。
オペラ座のある奏者は、リハーサルの晩、同僚の1人に、『秘密裁判官』の効果は、彼がそれまでに聴いた音楽のなかで、最も並外れていると言った。
「そうは言っても、ベートーヴェンを除けば、でしょ。」相手の奏者が言った。
「何も除かなくても、だ。あれほどとてつもない楽想を考えつく人間はあるまい。」
オペラ座の関係者はみな、僕の演奏会を聴きにきた。演奏の後は、果てもなく祝福の接吻や抱擁を受けた。次のような人々が、大いに気に入ってくれた。アブネック、デリヴィ、アドルフ・ヌリ、ダバディ、プレヴォ、モリ嬢、アレクシス・デュポン、シュナイツエフェル、エロール、リゲル等だ。僕の成功に、欠けているものは、何もなかった。パンスロン氏やブリュニエール氏のような批評家ですら、僕の作品の流儀は間違っていて、このような書き方は推奨すべきでないとしながらも、それが新しいものであることは、認めていた。
ああ、友よ、何かオペラの台本を送ってくれたまえ!『ロピン・フッド』を!・・台本がないのに、貴君は僕にどうしろと言うのか。お願いだから、何かを仕上げてくれたまえ。
さようなら、親愛なるフェラン君。誹謗者たちと戦うための武器を、貴君に送ります。カスティル・ブラーズは、パリに居なかったので、僕の演奏会に来られなかった。その後、彼に会ったところ、それでも僕の記事を書くと約束していた。彼は特に急いでいないが、幸い、僕は彼の記事がなくても、十分やっていける。
昨日になって初めて、一番好意的だった『ヴォルール』誌の記事を書いたのが、僕と一緒にローマ賞選抜に参加した、デプレオだったことが分かった。ライヴァルからのこのような賛辞は、僕を大いに誇らしい気持ちにさせてくれた。(了)

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