手紙セレクション / Selected Letters / 1830年12月6日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年12月6日
ベルリオーズ医師宛

大切なお父さん、
短い手紙しか、書く時間がありません。昨日、僕の演奏会が開かれ、並外れた成功を納めました。『幻想交響曲』は、歓呼と足踏みで迎えられました。『刑場への行進』[『幻想交響曲』第4楽章]がアンコールされましたが、ひどく遅い時間になっていたことと、『サバトの夜の夢』[同第5楽章]が長い楽章だったことから、アブネックが再演奏を望みませんでした。時間がないことを説明したところ、聴衆も納得してくれました。
カミーユと彼女の母親も会場に来ていました。彼女らは、母親のいう僕の常識外れなプログラムのことをひどく心配していたのですが、[演奏に]打ちのめされ、茫然自失していました。カミーユは昨晩、こう話していました。「オーケストラがここまでの効果を持つとは、思いもしなかった。ああ、私のピアノ音楽が、いまはとても詰まらないものに感じられる。なんとそれは貧弱で、小さいのだろう!」
モーク夫人は、信じられないほど興奮していました。
ピクシス、スポンティーニ、マイヤベーア、フェティスが、猛烈に喝采してくれました。スポンティーニは、僕の『刑場への行進』を聴き、こう叫びました。「これほどの作品が書ける人間は、これまでベートーヴェンしかいなかった。途方もないことだ!」
ピクシスが僕を抱擁してくれました。ほかにも50人以上もの人たちが。それはすさまじい反響でした。有名なピアニストの[フランツ・]リストが、ほとんどさらうようにして僕を連れ出し、自分の家で夕食をふるまってくれました。彼は、この上ない熱中ぶり(エンスージアズム)で、僕を圧倒しました。気の毒なル・シュウール先生は、まだ病気が治っておらず、来ることができませんでしたが、お嬢さん方が来て、成功を大いに喜んでくれました。
次の日曜日、序曲と交響曲の再演のための演奏会を開くよう、皆にせがまれています。ケルビーニが会場を使わせてくれるか、マリブランが歌ってくれるか、ベリオがバイオリンのソロを弾いてくれるかといったことを、確かめてみようと思います。オーケストラは、僕が自分で指揮することになるでしょう。利益は上がると思います。今回は負傷者のための募金演奏ではないので。
さようなら、大切なお父さん。お父さんとお母さんを抱擁します。(了)[書簡全集190]

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