手紙セレクション / Selected Letters / 1829年8月21日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年8月21日
アンベール・フェラン宛

親愛な友よ、
貴君を長く待たせていた楽譜[6月3日の手紙で言及されている『スターバト・マーテル』のことと思われる]を、ついに送りろう。[遅くなった]責任は、僕と印刷業者の双方にある。僕については、学士院のコンクールも少しは言い訳になるが、新たな心の高ぶり、the new pangs of my despised love [原文(英語)のまま。『ハムレット』3幕1場のハムレットの科白「蔑まれた愛の痛み ( The pangs of despised love ) 」に若干の語を加えて引用したもの]が、すっかり忘れっぽくなってしまったことの、不幸にも、最大の理由だ(me justifient malheureusement trop de ne penser à rien.)。そうなのだ、気の毒な、そして大切な友よ、僕の心は途方もない大火事になっている(mon coeur est le foyer d’un horrible incendie;)。雷に火を放たれた処女林さながらだ。その火は、ときに、鎮まったかにみえる。だが、その後、ひと吹きの疾風が・・・新たな燃え上がりが・・・木々の叫びを炎に沈め、すべてを焼き払う災いの恐るべき力を示すのだ。
僕が最近受けた幾つもの新たな衝撃の仔細を語るのは益のないことだ。それはひと塊になってやってきた。両親のせいで、あの不合理で恥ずべき学士院のコンクールが僕に最大級の損失をもたらした。『秘密裁判官』[フェランとべルリオーズのオペラに登場する、私刑を事とする秘密結社のメンバーたち]ならぬ審査員の先生方は、僕が誤った道を進むのを後押しするつもりはないそうだ。ボイエルデュー[審査員の1人]は、僕に、こう言った。
「友よ、貴君は、賞を手にしていたのに、自分でそれを放り出してしまった。私は貴君の受賞を固く信じて審査に臨んだのだ。ところが、貴君の作品を聴いてみれば、いったどうだ!・・・自分にはさっぱり理解できない作品に、どうやって賞を与えろと貴君は言うのかね。私には、ベートーヴェンの半分も分からない。だが、貴君は、ベートーヴェンよりも更に先へ行こうとしている![そんな作品を]どう理解すればいいのか。貴君は転調を大盤振る舞いし、難しい和声をいとも簡単に操っている。ところが、私自身は和声を勉強したこともなく、その方面には何の経験の持ち合わせもないときている!まあ、この点は私に非があるのだろう!(C’est peut-être de ma faute !)私は[赤ん坊を揺すってあやすように]心を和ませてくれる音楽だけが好きなのでね。・・・」
「でも先生、優しい音楽を書けと仰るのなら、『クレオパトラ』のような題材を課題にする必要はないではありませんか。何しろこれは、毒蛇で自害を図り、身を震わせて死んでいく、絶望した女王の話なのですから!」
「いやいや、友よ!どんな題材にだって、優雅さを注ぎ込むことはできるものだよ。とはいえ、私は貴君の作品の出来が悪いと言うつもりは少しもない。ただ、自分はまだ貴君の作品が理解できないと言っているだけだ。それをするには、オーケストラの演奏で、繰り返し聴かねばなるまいが。」
「先生がそうされるのを、僕がお断りしたのでしょうか?(M’y suis-je refusé ?)」[=それこそが僕の望んでいたことでした!]
「おまけに、あの風変わりな表現形式(ces formes bizarres )のどれをみるにつけ、すべてのこれまでのやり方に対して示されたあれほどまでの反感をみるにつけ、私は、学士院の同僚たちに次のように言わずにいられなかったよ。つまり、こんな考えをもち、こんな書き方をする若者は、我々のことを、心底見下しているに違いない、とね。親愛な友よ、貴君は、火山のように激しい気質を持った人だ(Vous êtes un être volcanisé,)。だが、自分自身のために作品を書いてはいかんのだよ。すべての人の気質がそのようなタイプだという訳ではないからね。ともあれ、私の家に来たまえ。そうしてくれると私も嬉しい。もっと話そうではないか。貴君を研究したいのだ。」
他方では、オベール[審査員の1人]が、オペラ座で僕を脇の方へ連れて行き、ほぼ同じことを言った(「カンタータは、歌詞の表出内容を考慮せず、交響曲のように作曲すべきだ」と語った点を別にすれば)。そして彼は、次のように付け加えた。
「貴君は、努めて平凡な箇所をなくそうとしている。だが、月並みな表現をすることを恐れる必要はまったくない。だから、私が貴君にできる最良の助言は、努めて平板に書くようにしたまえ、そして、貴君にはひどく平板に感じられるものが出来上がったら、それこそが求められている作品だ、ということだ。また、次のこともよく覚えておくことだ。つまり、貴君が考えているような音楽を作っても、聴衆はそれを理解しないだろうし、楽譜商もそれを買い取りはしないだろう、ということを。」
だが、もう一度言うが、パン屋や仕立屋のための音楽を書くのだったら、エジプトの女王の苦悩や、死についての彼女の瞑想をテクストに選びはしない。ああ、親愛なフェラン君、ピラミッドに埋葬されたファラオたちの霊が彼女の霊を迎えるときのことをクレオパトラが想像する場面の音楽を、貴君に聴いてもらうことができたら!それは、恐ろしく、ぞっとする場面だ!ジュリエットが、キャピュレット家の地下墓所で先祖代々の骸骨やティボルトの遺骸に生きたまま囲まれることになる自分の埋葬をあしざまに言う場面と同じように。次第に強まっていく恐れ!・・・恐怖の叫びで終わるその思索は、次のようなリズムを爪弾く、低音のオーケストラに伴われている。[譜例~略。「 Oh ! Shakespeare, Shakespeare !」の歌詞が付されている。]
こうしたことが起きている最中(さなか)、父が、僕がそれなしにはいられない仕送りを続けていくことに倦み飽きてしまった。僕はラ・コートに帰るつもりだ。帰ればまた新たな嫌がらせの言葉をさんざん浴びせられるものと覚悟している。それでも僕は、音楽のためだけに生きていくつもりだ。この障害だらけの最悪の状況の中で、音楽だけが僕を支えてくれている。構うものか。僕は帰らねばならない。そして貴君は僕に会いに来てくれねばならない。考えてみてくれたまえ、僕らはこれほど稀(まれ)にしか会えないのだし、僕の人生はこれほど不安定なままだ。そしてその僕らが、これほど近くにいることになるのだということを!着いたらすぐ、貴君に手紙を書く。
『ギョーム・テル』だって?・・・新聞も雑誌もみな、どう考えても常軌を逸していると思う。たしかにこれは、美しい楽曲も入っている作品だし、非常識に書かれたものではない。クレッシェンド[の濫用]もないし、大太鼓の使い方も少し控え目だ。だが、それだけだ。そもそも、本物の感情が少しもなく、あるのはいつも、技巧、仕来(しきた)り、こつ、聴衆の操縦といったものばかりだ。いつまでも終わらないので、皆が欠伸(あくび)をしている。経営陣は無料入場券の大盤振る舞いだ。ただ、メルクタールの息子役のアドルフ・ヌリは、素晴らしい。タリオーニも、舞踊家というより、まさに空気の精、エーリアルそのもの、天上の娘だ。ところで、連中は厚かましくも、この作品を、スポンティーニの上に位置付けている!僕は一昨日、劇場の1階席でド・ジュイ氏と、彼[スポンティーニ]の話をした。舞台には『フェルナンド・コルテス』[スポンティーニのオペラ]が掛かっていたが、この人は、自分が『ギョーム・テル』の台本作者[の1人]であるにもかかわらず、僕らと同じように、スポンティーニのことをただ熱烈な賞賛を込めて語るばかりだった。彼(スポンティーニ)は、しきりとパリに帰ってきている。彼はプロイセン国王と仲たがいした。野心が彼の命取りになった。つい先日、ドイツ語のオペラを上演して、失敗したのだ。ロッシーニの成功が彼の正気を失わせている。そのことは理解できるが、それにしても、彼は聴衆の受けなどには超然としているべきだ。『ヴェスタの巫女』[スポンティーニのオペラ]や『コルテス』の作者が、聴衆のための作品を書くなどとは!・・・『コリントの包囲』[ロッシーニのオペラ]に拍手喝采した人々が、僕のところに来て、スポンティーニも好きだなどと言うことがあるが、こんなレベルの賛成票を、彼ほどの人が追い求めるとは!・・・彼はいま、非常に不幸だ。最新作の不成功が彼を絶望させている。
僕は、ムーアのアイルランド歌曲集に作曲している。グネが訳してくれている。一つは数日前に出来たが、とても気に入っている。僕が作曲するはずの、あるオペラの台本が、近日中にフェドー劇場に提案される。大いに満足している台本なので、受理されるとよいが。
貴君はいつも何か書くと約束してくれるが、何も作ってくれていない。それでも、僕らに有利になると思われる劇場界の革命のことを少し話しておくから、考えてみてくれたまえ。ポルト・サン・マルタン劇場が破綻し、ヌヴォテ劇場も同様の状態に陥っている。それでいま、これら2劇場の監督が演し物に音楽を取り入れることを望んでいるのだ。つまり、新たなオペラ劇場の設立を政府(le ministère)が許可する可能性が出てきているということだ。貴君にこの話をするのは、このことを僕が知っているからだ。
さようなら。(了)[書簡全集134]

注記
橙色文字で示した2文は、これまでベルリオーズの内心の言葉と扱っていたところ、『回想録』25章の訳出に伴い、前者をボイエルデューの言葉、後者をベルリオーズの(実際に語られた)言葉とする見直しを行った。(2022/1/21)

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