凡例:緑字は訳注
パリ発、1829年8月12日
ナンシー・べルリオーズ宛
僕に何を書けと言うのか、気の毒な妹よ。このろくでもない[ローマ賞]コンクールは、君の言うお父さんにとっての重要性ほどには、僕には重要でないのだ。[今回の結果も、]お父さんには、賞が誰にも与えられなかったこと、僕を出し抜いてそれを獲得した者が誰もいなかったことが、少なくとも一種の慰めにはなるだろう。僕は「それ[1等賞]を手にしていた」と、ボイエルデュー[学士院会員。すなわち、審査員の一人。]は言った。彼らは皆、僕に賞を与えるつもりでいたのだが、[そうすることで]僕が「そのような道を進むこと」を奨励することを、どうしても避けたかったのだと。僕はボイエルデューと長い会話をしたが、彼は、色々な無邪気な言動をするなかで、他の審査員たちも、彼と同様、次のように考えたのだと、僕に認めた。つまり、こんな考えを持ち、こんな書き方をする僕のような若者は、彼らのことをこれ以上ないほど見下しているに違いない、とね。「貴君は月並みなやり方をたいそう嫌っているから」と、彼は僕に言った。「私のことも、ひどくありきたり[な作曲家]だと思っているに違いない。だが、人は常に新しいことをすることはできないものだ。ところが、貴君はそれをしようとしている。貴君がゲーテ、シェークスピアの賞賛者だということも、私は百も承知だ!・・・その上、貴君は、火山のような激しい気質の持ち主で、ベートーヴェンよりもさらに先に進むことを目指している。だが、私は、ベートーヴェンは、半分も分からない。和声について深く勉強したこともなく、[赤ん坊を揺すってあやすように]心を和ませてくれる音楽(la musique qui berce)だけが好きなこの私に、どうやって貴君を理解しろと、貴君は望むのか。貴君の[音楽の]高揚[原語:vos transports ]に、私は不安を覚える。貴君の[音楽の]効果の原理[原語:la raison de vos effets ]を理解したいとは思うが、それには至っていない。私は貴君の作品の出来が悪いと言っているのではない。そんなことを言うつもりは少しもない。だが、貴君の作品を理解するには長い時間が必要だろうし、何にもまして、ピアノでなく、オーケストラが必要だろう。」
この長広舌が続く間じゅう、僕は、石のように、あるいは、石の供宴の彫像のように、固まっていた[A tous ces beaux discours j’étais comme une pierre ou comme la Statue est au Festin de pierre.]。
こんな打ち明け話をする人に、いったい何と応じればよいのか?彼は僕に、一種の驚きが混ざった奇妙な敬意を示し、彼がもっと僕を「研究」できるよう、彼の家を訪ねることを約束させた。すでに一度、そこは訪ねた。僕は、オベール[作曲家、学士院会員、審査員の一人]のところにも行った。彼らは2人とも示し合わせたように同じことを言っていた。それを聴いてはっきり分かったことは、この賞を得るには、去年[2等賞を得たときに]したように、自分の両翼を切り取り、自分のイマジネーションには絶対に身を委ねないようにしなければならないということだけだった。それこそが、僕が今回犯した失敗だったのだ。このコンクールに参加する前、オペラ座のある音楽家が僕にしてくれた素晴らしい助言に、僕は従うべきだった。彼はこう言ったのだ。「手足のすべてで瀉血して2週間ばかりミルクダイエットすることだね。そうすれば、あの先生方も満足するだろうさ。」
だが、こんなつまらない話題は、もうこれくらいにしよう。すると君は、僕と会うことを楽しみにしてくれているんだね!僕は今日、お母さんに手紙を書き、君のことにも触れた。君も苦労しているね!でも、何も見つからないだろう![tu te bats les flancs! mais tu ne trouveras rien! 〜趣旨不明]。君もあまり元気ではないのだろうと、僕は思っている。ならば、2人で大いに気晴らしをしよう。僕も、気の鬱(ふさ)ぎで死にそうになっている。このことは、お母さんには話していない。話したのは、最近罹った喉の病気のことだけだ。だが、本当は・・・・いや、ここまでにしておこう(Assez)・・・
僕はロッシーニに紹介された。ほとんど嫌々ながら。彼は、『ファウスト[の8つの情景]』を大いに褒めていた。この作品を、すでに知っていたのだ。
ラ・コートに帰ったら[ナンシーはアン県ブールに滞在中だった]、2、3号前の『コレスポンダン』誌を探してくれたまえ。いま完結させようとしているベートーヴェンの生涯に関する記事の初回が載っている。
君に書くべき良い話が、何も思い浮かばない。僕は、苦しんでいる。さようなら。(了)[書簡全集133]