手紙セレクション / Selected Letters / 1829年4月9日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年4月9日
アンベール・フェラン宛

ああ、気の毒な友よ!貴君に手紙を書かなかったのは、書きたくても書けなかったからだ。僕の希望は、すべて、ひどい錯覚に基づくものだった。彼女は去った。自ら2日続けて目の当たりにした僕の苦悩に、何ら慈悲をかけることもなく、人づてに僕の耳に入った、「これ以上に不可能なことは、ほかにありません」という言葉だけを残して。
親愛な友よ、この致命的な2週の間に僕に起きたことすべての委細を、貴君に語ることを求めないでくれたまえ。一昨日、この件のことを今日話すことを不可能にするようなある出来事が、不意に出来した。僕はまだ、十分元どおりになれていない。傷口に刺さったままになっている剣を、こね回すことが出来るだけの力があるひと時を、見出すように努めよう。
ド・ラ・ロシュフーコー氏に献呈した、『ファウスト[の8つの情景]』を、貴君に送ります。彼のためにこれを書いたのではなかったのだが![ハリエット・スミッソンのために書いたのだ、との含意。ケアンズ1部19章参照。]・・・印刷業者への支払いのため、もし貴君が、無理をせずに、あと100フラン、僕に融通してくれることができるのであれば、たいへんありがたい。あの連中に借財をするよりは、貴君にした方が余程よいからね。白状するが、貴君が申し出てくれたのでなかったら、このことを貴君に頼む決心は、つかなかっただろう。
貴君のオペラ[『秘密裁判官』改訂版の台本]を送ってくれて、本当にありがとう。いま、グネが筆写しているところだ。僕らは、この作品を[オペラ座に]確実に受理させるため、あらゆる手立てを働かせようとしている。これは、素晴らしい作品だ。崇高な場面が、いくつもある。ああ、友よ、貴君は、何という詩人なのだ!第1幕のボヘミア人たちのフィナーレは、達人の仕事だ。思うに、これほど独創的で、これほど見事に書かれたオペラの台本は、いまだかつて、世に出されたことがないだろう。繰り返すが、これは、実に見事な作品だ。
こんなに早く手紙を切り上げることに、気を悪くしないでくれたまえ。これから郵便局に総譜を持って行くのだが、もう2時になってしまっているのだ。僕は今、とても苦しいので、戻ってきたらすぐ、また横になるつもりだ。
36日前、彼女は、去った。その1日、1日が、それぞれ、24時間で、「これ以上に不可能なことは、ほかにない」。
さようなら。
ショット、シュレザンジェ[いずれも楽譜商]には、教会音楽の在庫があるので、貴君が探している楽譜があるかどうか、尋ねてみた。だが、彼らのところにあるのは、たいそう規模の大きな作品だけだった。
僕は、ピアノ又はオルガン伴奏つきの3声の『サルタリス』を作ったことがある。貴君にそれを送ろうと思って、一日中探したが、見つからなかった。さして値打ちのあるものではなかったから、たぶん、この冬、燃やしてしまったのだろう。(了)[書簡全集121]

次の手紙 年別目次 リスト1