手紙セレクション / Selected Letters / 1829年1月11日 (25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年1月11日
エドゥアール・ロシェ[訳注1]

親愛な、そして気の毒なエドゥアール。君は、僕のことを、怠惰で、ひどく忘れっぽく、恩知らずだと思っているに違いない。
ド・フィエール氏への手紙を僕に送ってくれたことへのお礼も、言っていなかったね。君が知りたいと思っているだろうことについては、次のとおりだ。僕はいま、苦悩と絶望の日々を過ごしていて、何も考えられずにいる。君に手紙を書こうと思っていたが、書いても、僕の苦しみをそのまま知らせることになって、君を悲しませるだけだろうと思い、控えていた。詳しいことは話したくないが、僕はただ、希望と絶望の間を、絶え間なく往き来している。いくつかの希望が生じ、それらが、消えてなくなった。情熱を傾けた追求の甲斐もなく、決定的な説明がなされる日は、遠ざかっているようにみえる。それでも、ここ数か月のうちには、必ず、彼女[訳注2]の心のうちを知ることができるだろう。彼女は、僕の個人的な知り合いのある英国人に、僕のことを2度話した。その人物は、彼女とも、彼女の母親とも、親しい友人なのだ。ところが、このことについては、母親に知られずに話すことを彼女は望んでいるのに、母親がほとんど外出しないものだから、話す機会が来ないのだ。パリであれ、ブリュッセルであれ、舞台出演が決まれば、彼女はすぐにその地へ行かなければならなくなるし、そうなれば、その英国人も同行しなければならないのだから、機会はいくらでもあり、すべてがすぐにはっきりするだろう。それにしても、彼女が説明を求めているというのは、果たして本当なのか?もしかしたら、僕は、騙されているのかもしれない。それに、[中断]
待っていた人物が来訪し、手紙書きが中断された。その人に、明日彼女の家に寄るよう、S嬢が求めたそうだ。仕事の話があるとのことだ。彼女は、ブリュッセルに向けた計画の方向を、彼に提案しようとしている。その際、僕のことを話すことができるか、見きわめる必要がある。これでやっと、今日のところは、少し落ち着いた。
フィエール氏宛の君の手紙は、無駄にならなかった。彼のおじさんが、僕のことをオペラ座で話してくれ、僕は、リュベール氏はバレエ『ファウスト』の音楽を僕に任せて差し支えないとの推薦を、非常に迅速にオベールから受けることができた。僕がまさに取り掛かろうとしていたときに、ポルト・サン・マルタン劇場の『ファウスト』が成功し、すべてを台無しにしてしまった。オペラ座は、この題材は使用済みになったと判断してバレエを上演しないことに決め、作曲をしないよう、僕に連絡してきた。僕は、ゲーテの戯曲、つまりオリジナルの『ファウスト』のなかの、いくつかの詩を、音楽にした[訳注3]。今までで一番よい作品ができたと感じている。
脳は、それが保持するある能力を、指がそうするように、獲得するようだ。というのは、これらすべてを書いている間、僕は、自分が描く必要があった、歓び、安らぎ、純朴さといった気分に浸るには、ほど遠い状態にあったからだ(Il paraît que le cerveau acquiert comme les doigts un talent qu’il concerve, car j’étais bien loin en écrivant tout cela d’être dominé des sentiments de joie, de calme, de naîvité, etc. que j’ai eu à peindre.)。ああ!こんなに苦しまないでいられたら!・・・僕の頭の中では、いくつもの音楽上のアイデアが沸き立っている!・・・因習(ルーティヌ)の鎖を断ち切ったいま、目の前に広大な平原が広がっているのがみえる。これまで、アカデミックな規則で立ち入りを禁じられていた領域だ。あの畏れを呼ぶ巨人、ベートーヴェンを聴いたいま、僕は、音楽という芸術の、到達点を知った。それに追いつき、さらに前に進めなければならない。・・・いや、さらに前に進めるのではない、そんなことは不可能だ。彼は芸術の極限に到達している。そうではなく、別の経路で、同じく極限まで進むのだ。やらなければならない新しいことが山のようにある。僕はそれを強烈に感じている。僕はやり遂げる。生きている限り必ず。ああ!僕のすべての運命は、この電撃のような情熱に、呑み込まれてしまわなければならないのか?・・・だが、もし反対に、これがよい方向へと向かい、これまでのすべての苦しみが、僕の音楽上のアイデアをさらに豊かにすることに役立ってくれるなら、僕は、猛然と仕事をするし・・・僕の力は三倍にもなるだろう。芸術家にとって何よりも大切なものを、つまり、芸術を解する人たちの賛同を、勝ち取るため、僕の頭脳で、というより、僕の魂で武装した、ひとつの音楽世界全体が、突如、姿を現わすだろう。
僕には時間がある。僕はまだ生きている。そして、生命と時間があるなら、偉業は、成し遂げ得るはずだ。
さよなら。変わりなく僕を愛してください。君の変わらぬ友、

H・ベルリオーズ

マルクとシャルルによろしく伝えてください。

訳注1/エドゥアール・ロシェ(1803-70)。同郷、同年の友人。
訳注2/後年、ベルリオーズの妻となる、アイルランド生まれのシェークスピア女優、ハリエット・スミッソン(1800-54)のこと。なお、ここで言及されている知り合いの英国人とは、当時、彼女の代理人を務めていた英国の興業主、ターナーのこと。
訳注3/ゲーテの『ファウスト(第1部)』中の詩に基づく声楽曲集、『ファウストの8つの情景』のこと。

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